私が中学3年生の夏休み、街中で伯祖母に偶然会った。久しぶりの外出なのだろうか、少し離れていてもよく分かるくらい煌めくルビーの指輪でオシャレをしていた。知り合いと一緒のようだったし、私が手を振って通り過ぎようとすると、人目を憚ることもなくハグをしてきた。驚いて伯祖母の顔を見ると、涙を浮かべていた。こんな人の多いところで会えるなんてすごい奇跡だと伯祖母は言った。

先週末も病院にお見舞いに行ったし、今週だって会いにいく約束をしていたのにどうして泣くのか、理由はその時の私には分からなかった。ただ、病気のことでナーバスになって涙腺が緩くなっているんだろうと片付けてしまった。伯祖母はステージ4の胃癌だった。

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夏の暑さが少しだけ和らぎ、陽が沈むのが少しばかり早くなる頃になった。学校帰り、ふと無性に伯祖母に会いたくなった。でも、病院は家とは反対の方向で、少しだけ顔を出すとしても、乗り継ぎが上手くいって家に着くのはぎりぎり18時半くらい。遊びに行く時は18時半までには帰ると家族と約束している。地元のバスは予定時刻には絶対来ない。良くても10分、最悪その時刻の便自体がなくなっていることがある。ギリギリの賭けだった。

どこかの小学校のチャイムが鳴った。結局、放課後のオレンジ色の空は私の心を弱気にさせた。まあ、いいか。特に話したいことがあるわけでもないし、明後日いつもの時間に会いに行くと約束したのだ。

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翌日の朝、いつもなら家族はまだ寝ているはずの時間に、みんなが起きていた。そのくせ、家はやけに静まり返っていた。それだけで何が起こったのかは容易に想像がついた。小学生2年生のクリスマスイブにも、家が同じ空気に包まれたことがあった。その時は、伯父が亡くなった知らせが入っていたのだった。

「おばちゃん、亡くなったの?」
「うん」
「そっか」

約束は破られた。でも、もう伯父が亡くなった時みたいに泣いたりはしない。おばちゃんと過ごした時間が一番短い私が泣いたら、妹である私の祖母や、私より30年ほど長く過ごした母はどうなるのだ。そう言い聞かせた。

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約束していたの“明後日”が今日になった。会いに来たよ。でも、こんな風に会うとは思わなかったよ。棺に花を入れながら話しかけた伯祖母は、陶器のように滑らかな肌をしていた。とても74年間、楽しいことも苦しいことも経験してきたようには見えなかった。

それから少しして落ち着いた頃、形見分けをした。伯祖母は私に、ルビーの指輪を残してくれていた。箱をよく見ると小さな紙が入っていた。品質証明かなにかかと思って開くと、懐かしい文字があった。

「あの時街で会えて嬉しかった。これはあの時の記念に」

あの時すでにおばちゃんは自分が死ぬということが分かっていたのだ。今を生きられるのが当たり前ではないということを知っていたのだ。ああ、なぜ今を大切にできなかったのだろう。あの時、あの空に弱気にならなかったら。私はもう一度、おばちゃんと話せたのに。あの涙の意味を知れたなら、あの夏、また土曜日に会えるのに大袈裟だなんて言って笑わなかったのに。

一人堰を切ったように泣く私を嗜めるように、ルビーは凛として、まるで、今を生きる美しさを表すように、鮮やかな赤色をしていた。

もう伯祖母とばったりどこかで会えるなんてことはないのに、あの時をやり直すことなどできないのに、あれから5度目の夏、私は誰かを伯祖母と見紛うのだろう。