目の前いっぱいに広がる、紫、白、薄紅の藤。久しぶりに家族みんなの予定が合ったから、藤の花を見に栃木まで来た。
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藤の花。
苗字が藤だから、私たち家族は藤の花に目がない。特に母。近所の藤棚が咲きはじめたら真っ先に写真を撮ってくるし、この前なんか藤の花柄の傘を色違いで3本も買っていた。そんなに使わないでしょうに!結婚した苗字を気に入っていてかわいいね。
でも母は、「結婚なんてするもんじゃない」と私と妹に言い聞かせてきた。そのたび私たちは傷ついた。産んで後悔しているということだから。寂しいね、でもママの気持ちも理解できるよね、と妹と話してまた悲しくなる。
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両親の仲は決して悪くない。支え合ってきた戦友という感じだ。でも、母にはきっとやりたいことがあった。バリバリ働きたかったのかな。結婚して専業主婦になって、万年反抗期の娘の育児に追われて、人生やりきれなかったと思っているのかもしれない。それでもパートでお金をコツコツ貯めて、毎日遅くまで勉強して、調理師免許やら保育士免許やらたくさん資格をとっていた。すごい。とにかく学ぶ意欲に溢れている人なのだ。どこに行っても上司から気に入られ、周りから一目置かれる。こんなに意欲があるなら、もっと家の外に出たかったよね。ママ、ごめんね。
こんな母だから、女の子であることを理由に勉強を疎かにすることは許されなかった。母親は娘に人生のやり直しをさせるという。そのとおりだと思う。母は私に学歴を、社会的地位を、男性に負けない強さを求めた。期待は重荷であった。でも、「男性の一歩後ろを歩きなさい」と言われずに育てられたことは私のなかでとても大きく、根幹となっている。
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車の中。
栃木までの道のりは、それはそれは長かった。朝5時に家を出て、高速道路を走って3時間。だいたい朝早く出発するときは、私が一番遅くに起きる。起きるとみんな準備を終えていて、ちんたら着替えやら化粧やらしていると「早くしろよ!」と父親が怒鳴るまでがルーティーンである。やっと車に乗り込んで出発する。妹がBluetoothでサザンを流す。
家族で早起きして車に乗るのは高校以来かもしれない。高校まで、冬は家族でスキーに行っていた。体育会系の父親は娘2人を熱心に教室に通わせた。最初は泣きながら通っていたスキーも、高校まで続くと少しばかり向上心が芽生える。加えて妹の方が先に2級に受かってしまったものだから私は何がなんでも先に1級を取らねばならなかった。
1級受験に燃える私のために、両親はかわるがわる私を東京から長野まで送り届けた。母親は滑らないのに、毎週末早起きして、真冬のまっくらな高速道路を3時間ほど運転して、教室の受付に私と並ぶ。日中はレストランで1人編み物をする。レッスンを終えた私を車に乗せ、きれいねえと言って夕日に照らされた富士山を見ながら帰る。
私はどうしても1級に受かりたかった。あらゆるスキー場の検定すべてに申し込んだ。でも、受からなかった。落ちるたび号泣する私に「応援ソングよ」と言って、母は車に積んであった松田聖子のCDを流してくれた。「フレッシュ フレッシュ フレーッシュ!」と聖子ちゃんの明るい声を聞くと、運転する母の隣で見た中央自動車道の風景を思い出す。自分の人生をやりきりたかったと思っているくせに、娘のやりたいことに身を捧げてくれた、そんな私の母。
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帰宅。
広い公園に咲き乱れる藤をひととおり見終わり、昼過ぎには帰宅した。疲れてひと眠りすると、栃木に行ったことが夢だったのではないかと思えてくる。
母は今日も誰より早く起き、てきぱき公園を歩き、今は疲れた様子もなくテレビを見ている。
ママって強いんだよな。30年近く一緒に過ごしてきて、一度も泣いているところを見たことがない。風邪をひいて寝込んだこともない。絶対に自分が悪いときも、謝らない。何にも動じなさそうな静かな顔で過ごす母を見て、そんなことを考える。
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私の母、56歳。余命半年。
私がおばさんになるまでずっと生きていると思っていた。
40歳くらいになったら、「うちの母も最近ボケてきちゃってさあ」なんて話を友達とするんだと思っていた。
あんなに嫌いなところがあって、傷つけられたこともたくさん覚えているのに、そこにいるのが当たり前じゃないとわかったとたんに、優しい思い出ばかりが頭の中をかけめぐる。つくづく私は都合のいい娘だと思う。
今、目の前で、身体のどこも悪くありませ〜ん、みたいな顔をして、テレビを見ている母。
ボケちゃうこともなく、チャキチャキと動けるうちに、いなくなってしまうかもしれない母。
半年後にはここにいないかもしれないんだよ、なんでそんな顔してられるんだよ!と心の中で叫ぶと視界がゆがむ。
どんな姿も目に焼き付けなければ。涙を流していることがばれないように、視線をパソコンから母親にそっと移す。
ママ、
私はママの娘でよかったよ。
ママは幸せだったかな。
愛してるよ。
ママ、
ママ、