具合悪いし、呼吸が何だか息苦しい。初めはそんなものだった。かかりつけの内科や呼吸器内科、婦人科、神経内科と思いつく原因を探し病院を回った。そして異常なし。時にそういった女性の扱いに慣れたお医者さんから当たり障りない漢方薬を処方されながら、最終的に心の病院で診てもらうこととなった。

心療内科を勧められるまでの、よくある過程をなぞった。それがまだ始まりで、終わらない病院探しをすることになるとは思いもしなかった。

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最初の職場は、休職後に退職した。相性の良い心療内科を探すのが当時こんなに難しいと知らず、薬での治療は怖くて素直に受け入れることできなかった。病気ならば早めに見つけて治したほうがいい、そう思って一大決心して検査を受けては、明確な診断は出ない。でも治療は必要ないとまでは言われない。

微妙すぎる。発達障害なんだろうかと、身構えていたので一瞬安心するけど、じゃあどこが悪いの?なんで職場に行けないほど具合が悪いの?とまた焦り始める。どこが悪いのかわかるなら、自分を変える努力をするよ。自分の悪いとこにも向き合うよ、私真面目でしょ?だから誰か教えて。

そんな間違った前向きさで、目の前の底なし沼をかき分け始めた。

その時には転職先でも、周囲に溶け込むことができず、自分の得意な業務が見つかった頃には職場に行けなくなった。新しい病院は大きなところで、先生方も良い人なのに、納得できないと頷けない私は治療をうまく受け入れることができない。明確な病名がつくわけでもない患者を受け入れてくれただけで親切だったと思う。そんな自分が恥ずかしかった。

病気じゃないなら、なんで普通にできないんだろう。カウンセリングで「まだ早い」と言われても、働き始めた。もちろん途中でダメになることになる。病名もなく、なぜ仕事をしてないのか説明ができないのに働いてない自分を受け入れられなかった。

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私が心の安定を取り戻すまで、4年かかった。不名誉な歴。良くなったり、悪くなったり、同棲、結婚、引っ越し、転職2回と常に環境が変わり、何度もこれを機に元気になると誓い、何度も失敗して子供みたいに泣き喚いた。

もう失敗し尽くしたと思った頃に、自分と折り合いがつき始めた。認知行動療法の本と出会い。登場するセリフが私の疑問や心そのままで、まるで自分の解説書のようだった。

だからこそ、「これが知りたかった」と初めてのめり込んだ。『今日から使える認知行動療法』という本で、普段はそんなこと絶対に続かないのに、1ページずつノートにまとめながら、初めて自分という存在の輪郭を捉えた気がした。ちなみに、私はワークよりも、本の用語や説明を書き写すのが良かった。自分のモヤモヤに名前がついて、納得できたから。

1冊の本を読んでまとめ切った時の充実感はすごかった。もう終わってしまうのかと、「ロス」も感じた。出会いと言ったけど、1年前に買って、最近本棚の奥から引っ張り出したやつ。そういやこんな本買った。当時の私のことだから、適当に読んだ気になっていたんだと思う。

鈍感になっていた私にちゃんと響くようになったのは、段階があって、これまた本の助けがあったから。『嫌われる勇気』や加藤諦三さん著の本は、頭の中の感情の嵐とか、消えてしまいたいと思った時を何度もやり過ごせた。(加藤さんの本は、タイトルで自分の人生とリンクしてそうなやつを何冊か複数読むのがおすすめ。YouTubeは本の要約サービスが出している動画が分かりやすかった)

ちなみにこの本たちは、私の本棚のやつではない。夫の本棚。自分だけで迷路に迷い込んだ時は、周りの読書家あたってみるのがいい。そんな人生を生きるための読書センスも人から借りて生きてる。

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話は戻る。認知行動療法を学んで分かったのは、私は認知という「心の捉え方」が人とは違っていたり、歪んでいたことで苦しんだということ。原因は主に幼少から社会に出るまでの家庭や学校での人間関係と自分との不調和であるが、要は社会に出るまでに、集団や人間関係に適応したり、ストレスに対処する力が未成熟なことが私自身の足を引っ張っていた。

私は誰かに認めてもらいたくて、もう嫌われたくなかった。だから、間違った方向に努力し、完璧主義で、人に頼れず、自滅するタイプだった。職種関係なくそんな奴は上手くいかない。それが分かったとき、これから無駄にジタバタしたり悩む必要ないと、割り切れた。

今までのバタバタも経験も、それに気付いたり、ある意味では諦めをつけて、次に進むための治療の過程だったと思うことができた。みんなと同じになろうとして自分を否定することもやめようと思えた。ここで言う「みんな」は、たいてい自分の味方でない苦手な人を思い浮かべていることが多かった。

自分を受容するスペースが、細胞分裂のように静かに心に増設された。これまで失敗だと思っていた、仕事や転職の経験も今思えば役に立っていた。今思えば。これまでの段階を一つ一つ飲み下して、自分のものにしたことで、その答えを受け入れることできたから。