「Y先生は今月をもって退職となりますので、次回からは新しい先生が担当になります」
受付の女性から告げられたこの言葉に、思わず固まった。私のことを一番知っているであろうY先生が、私の担当をしてくれることはもうない。
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私は大学時代の後半から心療内科に通っている。毎日忙しくも充実した日々を送っていると思っていた最中、突然体が動かなくなった。ベッドから出られない。風邪などの病気の症状とは何かが違う。初めて経験する症状に戸惑いながらも、頼るべきは心療内科だろうと確信した。
知り合いに見られるのではないかと不安になることもあったが、心療内科に通うことにそこまで抵抗はなかった。周囲にメンタルヘルスで悩んでいる学生がいたり、そのケアの大切さを大学で教えてもらったからだろう。むしろ、専門の先生に診てもらい、診断結果として(可能性がある、というレベルではあるが)病名を知ることができて安心した。病名がわかると治療方針が明らかになるし、症状に合った薬を処方してくれる。
メンタルの調子が良くなったと思い込んで通院を中断したこともあった。しかし、しばらく経過してまたメンタルを壊し、通院を再開する、というサイクルの繰り返しになる羽目に。治療継続の大切さを身をもって学び、定期的に通う日々を送っている。
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社会人になり感じるストレスの種類が変化したせいか、新卒1年目の冬にメンタルが著しく不調になった。自分自身をコントロールできない中、僅かに残っていた客観性が「すぐに病院に行け」と私を駆り出した。
かかりつけの心療内科に診てもらったところ、適応障害と診断された。初めて診てもらった時と同じ病気が再発したと思い込んでいたため、想定外の病気で戸惑った。休職することになり、今までよりも一層丁寧に病気と向き合おうと決めた。
学生時代は変則的な生活を送っていたため、心療内科を予約するときは「私が行ける日に担当できる先生で」とお願いしていた。しかし、会社勤めのため決まった曜日にしか病院に行けなくなったことから、自然と毎回同じ先生に診てもらうようになった。それがY先生だ。Y先生は私の感情がどんなに不安定でも、冷静に話を聞いてくれた。必要以上に親身にならずとも、患者の症状を汲み取れるY先生には信頼を覚えた。
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予約の都合でY先生以外の先生に診てもらうことが何度かあったが、治療を受けたという感覚が得られなかった。薬をもらいに行っただけの診察だった。その時にようやく、「次回以降は必ずY先生に診てもらえる日に予約しよう」と思った。担当回数が最も多いY先生が私の症状を一番理解できるだろうし、同じ先生が診てくれているという安心感もあった。
メンタル関連の病気は他の病気や怪我と違って、回復を体感しづらい。そのせいで焦りを感じてしまうことが未だにある。これまでの治療を経て「病気を治す」ではなく「病気と付き合う」というスタンスでいる方が、快方に向かいやすいと気がついた。自分自身と丁寧に向き合いながら治療に臨もう。これからもY先生にはお世話になるだろう。そう思っていた。
いつも通り心療内科の予約をY先生指定で予約を取ろうとしたが、Y先生の診察枠が減っており、なかなか通院日が決まらなかった。ようやく予約が取れ、いつも通り診察してもらった。受診後、受付で今回がY先生の診察が最後になることを聞かされた。「出勤日が少なくなったのだろう」程度に思っていたため、衝撃が大きかった。
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怒りや苛立ちを超えて、喪失感でいっぱいだった。Y先生がいなくなったら、どの先生に診てもらったらいいのだろう。退職することをもっと早く知っていれば、新しい先生との治療について相談できただろうし、お別れの挨拶もしたかった。カルテは引き継がれているとは思うが、新しい先生に私の症状を一から伝える自信がない。
結局私は気持ちを切り替えることができず、「私が行ける日に担当できる先生で」という予約のスタイルを再開してしまった。その日の先生がどんな人かは関係ない。とりあえず薬がなくなる前に診てもらい、処方箋を出してもらおう。
数年も心療内科に通っているので、このような姿勢で治療を受けるのは絶対に良くないと十分分かっている。しかし、誰にどう尋ねればいいのだろう?今になって誰に頼ればいいのかわからなくなってしまった。
ネット記事を複数読み、今の自分に合いそうな対処法に取り組んでみる。今抱いている感情はどうして生まれたのか、クリニックのコラムから一般の知恵袋まで読み漁る。それが今の私の精一杯だ。