夏の朝、インターホンの音とともに宅配がやって来る。
中身は田舎の父の作ったトマト。
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赤いトマトに黄色いトマト。
巨大なものからラグビーボール型、ミニサイズまでぎっしり詰まっている。
これこれ、これがないと夏は始まらない。
まずは大きなトマトを取り出しそのまま齧り付く。
夏の香りが鼻へ抜けて、庭に寝転がって流星群を見ていた夏休みを思い出す。
次は皮を剥いて、ミキサーにたっぷりの氷と少しの砂糖を入れて、トマトジュースを作る。
甘くてとろっとして冷たくて、スムージーに近い。
夏になると母が作ってくれるこの淡い桃色のトマトジュースが世界で一番好きな飲み物だった。
農家さんにアドバイスしたり苗を卸したりするのが仕事だった父は、野菜も器用に作っていた。
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ちなみに父のトマト作りはもう冬から始まっている。
冬、せっせとミカンを食べる父は皮を大切に保管する。私が実家に帰省してミカンを食べていると、すぐに
「皮ちょうだい。捨てないでね」
と目ざとく見つけては言ってくる。
冬が終わる頃には、庭の温室にミカンの皮の山ができている。
その皮を乾燥させて粉砕して土に漉き込むことで、病気が出にくく甘く美味しいトマトができる、らしい。
おまけにどれだけ毎年同じ場所でトマトを作り続けても連作障害も起きない、らしい。
なんだかよく分からないが父はミカンの皮に絶大な信頼を寄せていた。
あまりにも美味しいトマトを作る父に、中学生の頃、夏の栽培研究のテーマをトマトに決めて手伝ってもらったことがあった。
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律儀な父は毎日早朝に天気や気温、苗の成長をスケッチしてくれた。
水やりの頻度や脇芽取りの方法、害虫と益虫の関係など細々と調べている。
太陽の光の大切さや生態系のサイクルの視点からもまとめられた研究は、私が見てもとても面白いものだった。
トマトの観察は、もはや父の趣味と実益を兼ねたルーティンになっていた。
私はそれをいいことに研究を父に丸投げした。
観察し続けていた一本のミニトマトがついに赤く色付き、私と父はその数を数えてみた。
1、2、3、4……
99、100、101……
実ったトマトの数は108個だった。
煩悩の数と同じだけ実を付けたトマトに何らかのメッセージ性を感じながら、最後にトマトと一緒にぎこちない笑顔で写真を撮った。
研究は父の名前で提出してあげたいくらいだったが、そこはサクッと自分の名前を書いて夏休み明けに学校に提出した。
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しばらく経って、煩悩トマトのことも忘れかけていた頃、なんとあの栽培課題が地域の最優秀賞を取ったと連絡が入った。
喜びと少しの罪悪感を胸に、父に報告すると自分のことのように喜んでくれた。
いや、自分が毎日観察した研究なのだから喜んで当たり前だ。
今年も夏がやって来る。
早くトマトが食べたくて仕方ない。
年を重ねて前より小さく見える父だけど、きっと今年も美味しいトマトを育てているはずだ。
もしかしたらまたあの夏のように、108個の実を付けているかもしれない。