私は父に一度だけ手紙をもらったことがある。
13年前、一浪して大学に入った私は初めて親元を離れた。誕生日が早いから、入学式の日にはもう20歳だった。大学の寮で暮らしていた。狭い空間だったけれど、入学した年に新しくできた寮はとてもきれいで、私の大切な城だった。

その城に、手紙が一通届いたのである。父からだった。

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親元を離れてそれほど日にちは経っていなかったのに元気にしているかというお決まりの文言から始まり、ついこの間あったばかりなのになと思ったことをよく覚えている。その手紙の中に私の人生にずっと残り続けている言葉が書いてあった。ほんの短い、ごく当たり前のことだった。「自由には、責任がつきものだから」。それだけのことだった。ただ、当時の私は正直めんどくさいなと思っていたし、あまり重大だとは思っていなかった。

ただ、面倒だとは思いつつ、自分で何かを選択する度に脳裏にちらついた。はっきりと呪いだと思った。自由からの逃走を図らないうちは、自由にさせてほしいと思った。責任と言われるとあまりに重く、もちろん自由に何でもできるとは思っていなかったけれど、それでももう少しラフに選択して生きていきたいと、脳裏に浮かぶ言葉をかぶりを振って何度も消した。

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自由の対価をきちんと払わないといけないことに気づけたのは、モラトリアムを謳歌しきった後だった。その頃の私は、精神的不調から他意無く何もできなくなっていた。そんな状況でも人生は選択の連続で、毎日何かしら自分で選ばないといけなかった。あまりに精神的に不調になると人は独りを選ぶのだと思う。たった独りでは小さな小さなことを選択するのですら本当に苦しくて、この苦しさは自由に選択をする対価の責任をたった独りで背負いきらないといけないことから来るのだと気付いた。

呪いの言葉が、私の中にまた響いた。ただ、そのとき、私には希望の音に聞こえた。

呪いだと感じていた当時は、なんとなく周りと同じようにこのまま人生は進んでいくしみんな選んでるし大丈夫でしょと、ひどく楽観的に自由な選択をしていた。自分一人で責任を背負いきる覚悟ができていなかった。20代前半なんて実際そんな覚悟ができている人も少ないだろうし、そもそも一生その覚悟をしなくてもいい人もきっといるだろう。ただ、本当に独りで責任を負っている自覚をしたときに、気付いたのだ。同じように責任を独りで背負って、重くて苦しくて逃げたくて、あがいてもがいて生きているここにはいないけれどきっとどこかにはいる人の存在に。

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精神的不調で人生が滞ることとなんて無縁でいたかったけれど、私にはその経験をする機会が与えられて本当は独りではないのに独りになった気がしていた。そんな私にとって、自由の対価に苦しめられる目には見えない誰かの存在はとてもかく感じられたのだ。そしてさらに、案外みんなそうやって苦しみながら生きているのではないかと気付いて、確かに私の人生は今滞っているけれどいつかまた緩やかにでも普通に暮らせるのではないかと思った。これは余りに大きな希望だった。

それ以降、私は、自由の対価を独りで背負うことが怖くなくなった。背負いきれるものだけをじっくり大切にすればいいことに気が付いたから。あれもこれもはもう持てない。それでも、背負えない分を削ぎ落して人生のサイズを想定より小さくして何とか生きている今が私は好きだ。

呪いだと思っていた言葉が今を生きる希望になった。このことを父には伝えていないし、これからも伝えないだろうと思う。でもね、お父さん。この言葉があったから、私は生きてるよ。ありがとう。それだけ。