先日、親友が結婚した。

その親友とは高校時代に出会い、大学・社会人と、気が付けば10年以上一緒にいる仲になっていた。私たちは昔からほとんど喧嘩もしたことがなく、大人になってからも相手の幸せや健康をお互い心から願い、あの頃から酸いも甘いも経験してきているが、その上で純に想いあえる「素敵な関係」だと我ながら思っている。

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「いつか結婚とかするのかな?」
「その前に相手なんて見つかるのかな?」

学校の帰り道、そんな未来の話から、明日の朝起きられるかな、なんていう話までどんな話をしたかは覚えていないことのほうが多いのだが、彼女とは本当にたくさんの時を一緒に過ごして大人になった。

私たちの似ているところはよく言えば謙虚なところなのだが、そんな性格を差し置くほど私は自信満々に「いつか彼女の結婚式でスピーチを読むのは私だ!」と思っていたし、その逆の彼女も然り。今思えば気が早いとしか言いようがないのでこっ恥ずかしいが「ここにこういう言葉を入れて、このタイミングで泣くんだろうな」なんて考えては目が潤んだりもしたこともあった。

私と言えば彼女で、彼女と言えば私。自分たちでも周りからもそう思われていたほどに2人はセットのようなもので、何があっても彼女がいてくれることがまだ学生で未熟だった私の心の支えにもなっていた。「人生でこんなに大切な親友が出来るなんて、本当に奇跡だね!」大げさだけど、よくそんな話もしていたのを覚えている。

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そして時が経ち、気が付けばスポットライトに照らされ、目の前にはマイクと、家でも既に泣きながら書いてきた手紙を持つ私。少し離れたところには、何度お会いしても優しくて誠実そうな新郎と、その隣で世界一似合うドレスを着て、宇宙一幸せそうな彼女。

先ほどスピーチを読んだ新郎側の友人はそれはそれは話がうまく、ひと笑いも取って会場を和ませていたのだが、その間私はというと、心臓の音に支配され全く味のしない料理を詰め込んでいたのだが、あと数秒後に発する言葉を想像しては、口は構わずハンカチで目元を抑えていたのだった。

いざその場に立ち彼女の目を見ると、もはや想像していた通りに涙が止まらなかった。ここに来るまで彼女がどう生きてきたのか、今どんな気持ちでいるのか、そしてこれからどんな日々を送っていくのか。そんなことを考えて泣くのに精一杯で、手紙に書いた文字はただ口を動かすための台詞でしかなかった。あたたかい拍手が聞こえる中、関西人の私は笑いを一切取れなかったことを少し悔やみつつも、同じくらい涙を流す彼女に心からのおめでとうと、ハグを送った。

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そんな、私にとっても一世一代の結婚式は、涙の量と比例して幸せな気持ちをたくさん残してお開きとなった。「次に私の番が来たときは」そんないつかの話もまたしていくのであろう。写真を見返しながら、彼女と連絡を取りながら、この文章を書きながら私はまた涙を流す。きっと、彼女もそうであるように。