先日、「両親がこの歳の頃にはもう私は産まれていた」という年齢を迎えた。
ありきたりな表現かもしれないが、社会人として働いてお金を稼ぐようになると、子を育て上げられるほど稼ぎ続けた父の偉大さを改めて思い知る。

そして、父の未熟さも。

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私は家族関係が理由で、高校生の時に精神疾患を抱えた。
いや、より正確に言うと「物心ついた時から精神に障害があり、それが高校生のときに露見した」といった方が正しいか。

高校生当時、私には自分の家族の異常さを理解できなかった。ずっとそこで育ってきていたから、それが当たり前の生活だったから。
「自分の家族は普通なんじゃないか」「そんな普通の家庭で精神に異常を抱えてしまった私一人だけがおかしいんじゃないか」とずっと思っていた。

大人になって、社会に出て、家を出て、恋人と関係を築いて。
当たり前に生きていくのにかかるお金に、ただ愕然として。
さまざまな人とかかわって、そのあたたかさとやさしさを知って。

今の私が抱く父への印象は、ひどく複雑なものになった。

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私の父は「お金を稼ぐことだけにステータスを全振りした人」だった、というのが、30歳になった私が出した結論だ。

お金を稼ぐのは、子供の頃の私が思い描いていたより、ずっと難しい。
でも私は幼い頃、お金で苦労した覚えはないに等しかった。

小学校3年生の頃だったか。
音楽の授業が始まったことをきっかけに、私は「ピアノを習いたい」と両親に頼んだ。

数日後、楽器屋さんに連れていかれ、その場で電子ピアノを購入してもらった。
たぶん10万円以上するものだったと思う。

たったの数日で、子供がそれを望んだからというだけの理由で10万円の買い物をすることが、10万円をすぐに支払える経済状況を維持することがどんなに困難か、今の私なら想像ができる。

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私には、父にいい印象がない。
平日にはだいたい私が起きている時間には帰ってこないし、たまに母に起こされては酔いつぶれた父の迎えにつきあわされたし、休日も昼まで寝て、起きたと思ったらパチンコに行って。ろくに会話をした覚えがないから、いい印象も持ちようがなかった。
確かに今思うと、一人娘が精神を病んでもおかしくない、だめな父親だと思う。母からも私からも逃げてばかり。酒やパチンコで気を紛らわせていないと、父の精神がもたなかったんだろう。

でも。
それでも、家族3人がまったく食うに困らず、たまの贅沢を楽しめる程度のお金を稼いできていたのは、間違いなく父だった。

確かにあたたかい家庭は欲しかった。
普段は家にいなくても、困ったら相談にのってくれたり、母と喧嘩したら外に連れ出して話を聞いてくれるような、物語に出てくる父親像には羨ましいという感情しかない。
正直そんなに酒とパチンコに逃げざるを得ないような激務でこの収入じゃなくて、もうちょっと稼ぎが少なくても穏やかな父親としてずっと家にいてくれた方が、私の精神的には絶対によかった。

でもこの歳になって思う。大人なんて万能でもなんでもない。
父もたぶん、子供の私が思っていたほど大人ではなかったんだと思う。
「一人娘の情操教育によくない」とかまで気が回らなかったか、回っていたとしても激務によるストレスに耐えかねてそうせざるを得なかったのか。たぶんどちらも正しいんじゃないかと思っている。

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結果、私は今も精神科に通っている。正直とても生きづらい。20代の頃はすごく恨んだ。
でも30歳の私は、父の未熟さと偉大さに両方思い至って。悩んで、恨んで、諦めて、そして父を許すことにした。

精神疾患を抱えた私は、自己表現として絵画でも書道でもなく、音楽を選んだ。
私の部屋には、自分でお金を貯めて苦労して買った15万円のギターと、あの日の電子ピアノが残っている。