その日は初めてアイプチをせずに家を出た。11年のアイプチ歴に終止符を打つためだ。
ビル5階の美容外科に繋がるエレベーターに乗ったとき、自分の心も一緒に浮かんでいくのを感じた。カウンセリングを受け、手術台の上に乗ったとき、「やっと解放される」と安堵の涙がこぼれた。
二重埋没手術を受けた休日を、私は一生忘れない。
ずっとコンプレックスだった一重を隠すため、覚えたアイプチ
小学生の頃から、可愛いと人気のある女の子はみんな二重だった。一重だと思った子も、ふと目を伏せたときに二重の線が見える。
私は目が1番のコンプレックスだった。目を伏せても二重の線は見えない。厚ぼったい脂肪が瞼にだらりと乗っかり、目の開きが悪いから常に人を睨んでいるように見える。
可愛い子は得をしていた。顔が可愛いと、「可愛いキャラ」を確立できる。私のようなブスは、たとえ秀でた物があったとしても、顔でいじられる。いじりからいじめに変わる境界線の上を、薄い氷の上を歩くように恐る恐る渡っていた。自分の顔をネタにしていじられながら、いじめに怯える毎日。他人の目を見られず、常に俯いて歩いた。
アイプチを覚えたのは中学生に上がった頃である。
初めて二重になったとき、鏡の前で呆然とした。たった数百円のアイプチで、自分のコンプレックスが解消されたのである。
のり式の他に、メザイク、テープ式、皮膜式など様々な種類のアイプチを試した。アイプチで二重にならないと家を出られない。外出先でもアイプチが取れていないか何度も鏡を見て確認する。
11年間の苦しみはたった一時間の埋没手術で終わりを告げた
失敗も数え切れないほどあった。のり式のアイプチにまつ毛を巻き込んで、何本ものまつ毛を失った。皮膜式のアイプチでは瞼が荒れた。アイシャドウを塗るとテープ式のアイプチが上手く貼れなかった。
アイプチに縛られ、それでも手放せず、他人の二重と自分のアイプチ二重を比較しては苦しむ毎日だった。
社会人になって初めて貰ったボーナスで埋没手術を受けた。11年間の苦しみが、たった1時間の手術で終わりを告げたのだった。
埋没手術では笑気麻酔を使わなかった。リスクの説明も受け入れた。一重から解放されるならどんなことでも受け入れられると思ったが、手術は想像以上に苦痛を伴うものだった。
まず瞼の周りに麻酔を刺す。それからオレンジ色の眩い光の中で、瞼を裏返される。グリュリュと何かが入ってくる音がして、気持ち悪い異物感と鈍痛が続く。吐き気に襲われながら、私は怒りが込み上げるのを感じた。
どうして一重に生まれてしまったのだろう。
最初から二重で生まれていたら、この苦しみを味わうことは一生無かったのだ。たった一本の瞼の線のために少なくないお金を払い、苦痛に耐え、後遺症のリスクに怯えている。二重に生まれたかった。可愛く生きたかった。
鏡で二重になった自分の目を見て心が軽くなり、私は再び泣いた
手術が終わり、鏡で二重になった自分の目を見て私は再び泣いた。自分の顔に悩み、苦しみ続けた11年だった。もうこれからは自分を蔑まなくて良いのだと思うと、心がすっと軽くなった。過去の自分も救われた気がした。
世間では整形はよく「ずる」だと言われているが、それは違う。
努力だけでは手に入らないものを、長い苦しみを乗り越えて手にする。この行為をどうして「ずる」だと言えようか。
整形で手に入れた美は表面だけのものではない。美を審らかにすると、そこには努力がある。苦しみを耐え、乗り越えた努力こそが貴く、美しいのだ。
私は整形を終えてから鏡を気にせずに休日を楽しめるようになった。整形で得たものは二重だけではない。整形して初めて自分を好きになれたのだ。顔を上げて歩くと、俯いていた頃よりも景色が明るい。
整形関係なく、全ての女性が自分自身を好きになってほしいと思う。満たされた心で、顔を上げて歩いてほしいと心から願う。