目を適当に整形してしまった。
後悔のほうは、まだない。
30歳になっても恋人ができなければ整形しようと思っていた。
実際は30歳を迎える前に行ったわけだが。

ある日突然全てが嫌になった瞬間、いきなり整形しようと思い立った

とはいえわたしは、できるだけ自分を受け入れて生きていきたいと思っている。
あけすけな性格で個性的なファッションを好むので、周りからは整形をする感じの人だと思われていなさそうだし、かつ整形をしたことを話すことができない人がいるのも事実だ。
けれども人間の心は複雑なもので、普段表にださないだけで、自分ひとりのなかにもいろんな人格があるんだということを改めて気づかされた。

2020年は新型コロナウイルスの流行とともに行動が制限され、わたしは静かに静かに沈んでいた。しかしある日突然全てが嫌になった瞬間、いきなり整形しようと思い立ったのだ。

自分の見た目がパッとしないことを、人生や恋愛がパッとしない理由のように思っていたのかもしれなかった。そうなると、これまで可愛い子と差をつけられていたことや、自分は異性からなんのアプローチも受けなかったこと、毎年フラれてきたことなど様々な嫌なことが浮かんできて、そしてそれは容姿のせいだという気がしてくるのだ。

「とはいえ整形ってなぁ…」と気持ちがあったが、経験したことで

とりあえず知り合いのインフルエンサーが整形手術を受けていた病院に行ったが、正直整形するときにはちゃんと病院を選んだ方がいい。少なくとも、カウンセリングと施術日は別の日にすべきだ。

それまでまぶたが分厚いと思ったことがなかった。たしかにアイプチではろくに線がつかないなとは思っていたが、そういう理由だったとは。
整形やまぶたのことに対する知識が全くないなかクリニックに行ったため、さまざまな驚きがあった。

アップセルを断るのは比較的得意だが、そこそこに大手のクリニックだからか、安い値段の料金では施術できずに結局負けて高い値段になってしまった。一般向けに提示されている金額のおよそ半額での施術で、けれどもまとまったお金をがっつり用意できなかったわたしは、残りを6ヶ月のローンで払うということになった。
そして当日に手術を行った。

整形したことで、整形への偏見が全くなくなった。これには驚いた。
今までは、「とはいえ整形ってなぁ…」という気持ちがどこかにあったが、実際に経験したことで変化した。あらゆることは、当事者になってみないことにはわからないのであった。

自分が美を手に入れたんだというような不思議な全能感に浸った

その後の経過としては、かなり快適である。
大きな変化をのぞむようなデザインを選択しなかったため、「整形したねえ」というような大きな変化は正直ない。確かに末広型の二重にはなっているが奥二重にも近く、印象でいえばメイクをしなくても前のメイク時の顔のようなちょっとした華やかさが生まれた感じ。わたしは顔のコンプレックスはあれど、美をもっと極めたいと思うほど向上心がないタイプなので単に日々の暮らしがラクになっただけだったが、一重のなかでもまぶたが厚く、野暮ったい目つきだったのが軽く化粧した感じの顔(当社比)になったことはかなりよかった。

目元しか変化していないのだが、これまで二重は美だと漠然と思い込んでいたこともあり、自分が美を手に入れたんだというような不思議な全能感に浸ったりもした。

この感覚は脱毛をしたときにも感じたが、毎回ふとしたときに「いやだな…」と思う原因のものが取り除かれることで、こんなにも軽やかな気持ちになれるのか。
ダウンタイム中は精神がちょっと不安定になりこそしたが、行動したことへの後悔は不思議と一切なかった。

これまでブスだとしか思わなかった自分の顔が、一重だった頃も含めて意外とそんなにブスじゃないじゃん、流行りの顔じゃないだけじゃんと思えたのだ。
息をするように自虐していたのが嘘みたい。わたしは整形後の容姿を気に入ったことで、整形前の自分も前より好きになっていた。

親しい友人や会社の人にも、整形をしたとふれまわったりもした。否定的なことを面と向かって言ってくる人は今のところいないが、とりわけ印象的だったのが、「整形すると没個性になるイメージだったけど、めっちゃ山田さんですね。よかった」と後輩から言われたことだった。たしかに流行りの顔でもないし、これまで美人だと言われることもなかった。けれども、わたし実は「ブス」じゃなかったんじゃないかな。

軽い気持ちで行うのは勧めないけれど、人生が楽しくなることも

一重まぶたの人へのぼんやりとしたジャッジ心もかなり薄まっていた。
こんなことで。気楽なもんである。

そしてもちろん、整形にはあらゆるリスクがあり、現にわたしは2回手術をしている。片目の糸が外れてしまい再手術をすることになったので(再手術の保証がついていたためアップセルしておいて良かったと言えるのかもしれない)、整形を軽い気持ちで行うのは勧めないけれど、こうして思ったより人生が楽しくなることもあるもんだ。

「正しい」ってことは得体が知れない。
世の中の美に迎合したはずなのに、不思議な解放感に包まれている自分がいた。
自分のありのままの状態を受け入れるというよりも、世の中のうつくしさに合わせるという方法をとったわたしのこの行動は果たして「正解」なのかはわからない。

けれども、なんだか世の中にはいろんな抜け道があるもんだ、と静かに思ったのだった。