大学生のとき、お気に入りのカフェがあった。夫婦2人で営んでいる小さなカフェ。朝はテイクアウトのみ営業をしていて、学生証を見せるとサイズアップが出来た。

憂鬱な1限授業の日は、そのカフェでヘーゼルナッツラテをテイクアウトして大学へ向かう。ラテを片手に通学する自分は、憧れのオシャレな大学生になった気がして嬉しくて、それだけで眠い1限を乗り切る充分な活力になっていた。

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実はそのカフェを見つけたのは大学生になる前、高校生の時だった。

入学前の説明会で初めて大学に行った日。地図アプリ使いこなせなかった私は、出口を間違えてしまって、大学周辺で迷子になった。とりあえず道を聞くために入ったのがそのカフェだった。

店主の方に道を教えて頂いて、説明会に遅れずに済んだ。恩を感じたこと、雰囲気が良かったことから、大学生になったら通いたいと憧れていたのだが、方向音痴な上に記憶力が悪いので、見つけたのは大学に通い始めてから2か月ほど経ってからだった。

それからは月に数回、そのカフェに行くようになった。
カフェに行くと決めた日は、いつもより少し早い電車に乗って、いつもと違う出口から出る。お店の前にモーニングの看板が出ているのを見かけて立ち寄る。レジでラテを頼んで、学生証を見せて、サイズアップをしてもらう。
ヘーゼルナッツラテを選んでいた理由は、響きが好きなこととせっかく早起きしたから王道なカフェラテとは違ったものを飲みたいという単純なことだけだったけれど、ナッツが香る甘いヘーゼルナッツラテは、憂鬱な朝を特別に感じられる気がして、お気に入りだった。

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注文を終えた店内には店主と私の2人だけ。店主がたまに話かけてくれる。少し世間話をしてラテを受け取って大学へ向かう。道中、話しかけてもらった嬉しい気持ち、恥ずかしい気持ち、きちんと会話できていたかな?とか色々思い返す。

そういえば、ま道案内のお礼言えてないなあ、いや覚えてないかなあ。そんなことを考えてラテを飲む。甘くて美味しくて、次会ったら伝えようと、また行く口実を勝手につくる。そうして幸せな気持ちで満たされた頃、大学に着く。

朝のヘーゼルナッツラテは、私を幸せな気持ちにしてくれる要素がたくさん詰まっている特別なものだった。

だけど、在学中にコロナが流行して、授業は全てオンラインになった。大学に行く機会もなくなってしまったので、カフェにも行くことはなくなってしまった。
それから半年くらい経った時、用事があって、1人で大学へ向かった。久々にヘーゼルナッツラテを買おうと思い、カフェに向かった。けれど、かつてカフェがあった場所は空きテナントになってしまっていた。

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お店が無くなったことを知ったとき、ショックだったのと同時に、私は店主に伝えたいことがあることを思い出した。私があのカフェに通っていた理由はただヘーゼルナッツラテが好きなだけじゃないんだと。もどかしさで、お店のSNSを調べた。閉店した旨を載せているアカウントを見つけた。
私のことなんて覚えていないかも、言っても迷惑かも、そもそも届かないかも、たくさんネガティブなことを考えたけれど、言わないことは誰も救われない気がして、メッセージを送ることにした。

「突然すみません。カフェがなくなったことを知って、思わずメッセージをしてしまいました」と一言断って、「高校生の時道案内をして貰ったんです。ヘーゼルナッツラテが好きでした」と伝えたいことを送った。
その後、返信をいただけて、「道案内は覚えていないけれど、ラテを買ってくれていたことは覚えてますよ」との言葉を貰った。
ただ伝えたかった、その想いだけだったのに、覚えてますよ、という言葉に心があったかくなって、人との繋がりを感じて、嬉しい気持ちになった。

私はまた喜ばせてもらってしまった。

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それからカフェのご夫婦がどうしているかは知らないけれど、どこかで素敵に過ごしていてほしいなあと思う。

今でもカフェでヘーゼルナッツラテを見つけると嬉しくなって頼むけれど、なんだか甘すぎてしまうと感じる。サイズアップをしても美味しく飲めていたあのカフェのヘーゼルナッツラテは、私にとって特別で素敵なご褒美だったんだなあと今でも思う。

もう行く口実はないし、飲む機会もないだろうけど、ヘーゼルナッツラテを見かけると頑張っていた過去の私のことや、素敵に過ごしているだろう店主のこと、いろいろな気持ちが湧いてくる。ただのラテだけど、私にとっては過去や人との繋がりを思い出させてくれる大切な味だ。