24年間生きてきて、一番印象に残っている誕生日は22歳の誕生日だと思う。
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誕生日。当日は当時付き合って2年目の彼が「一緒にお祝いしようね」と前もって連絡をくれていたので、私は仕事を早々に終わらせて、彼の家に向かった。予定の時間より早めに駅に着いてしまったので、地上に繋がる長い階段をゆっくり登っていく。
「寒いなぁ」
10月。今日はいつもよりも寒さが一層際立っていた。出口の隣で立ち尽くしていると、 ピューっと木枯らしが私の頬をかすめる。ふと、携帯から顔を上げるといつものニット帽がこちらに向かってくるのが視界に入る。
でも、知らないふりをした。彼から声をかけてもらいたいから。
「待たせてごめんね、寒いね」
「ん、待った。誕生日なのにえらいでしょ」
「えらいえらい。ご褒美にマフラー巻き直してあげるね」
この瞬間。あぁ、この人のことが好きだなぁと思う。ここにある幸せが私には見えていたと思う。
巻き直してもらったマフラーに手をかけながら、片方の手は彼のコートのポケットに。寒さなんてめじゃないくらい、私の心はポカポカだった。彼の家に着くまでは。
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彼の家までの道を歩きながら、会っていなかった1週間分を話す。いつも通りの風景。うんうんと静かに話を聞く彼の横顔を見つめながら、コートの中の手を握り返した。
ここまでは、何ら変わらない日常。でも、彼の住んでいるマンションのエントランスを潜った時。嫌な予感がした。
上から、ぽつぽつと水がしたたる音がする。
「あれ?なんか、エントランスの天井……」
「濡れてるね。なんでだろう?」
「ねー。水漏れ?大変だねぇ」
この嫌な予感は、きっと気のせいだよね。天井から垂れるぽつぽつという水滴の滴る音が耳に入る度、その音は私の嫌な予感を増長させた。
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エレベーターを使って、上に上がる。彼の部屋の前までいくと、うっと唸ってしまうような悪臭が私の鼻をついた。
「待ってて。俺、中見てくる」
持っていた荷物を私に預けて、彼は自室にゆっくり入って行った。奥の方から、彼の「最悪」という叫び声が聞こえる。
頼むから、帰らせてくれ。その声が聞こえた瞬間、私は荷物を放り投げて駅まで走りたくなった。
「大丈夫?」
蚊の鳴くような声で、奥にいる彼に投げかける。
「いや、やばい。もう浸水しちゃってるね。靴そのまま履いて入ってきていいよ」
いや、帰らせてくれまじで。
「わかった!」
口をついてでた、わかった。という私の言葉を聞いて確信した。私の口と心は繋がっていないらしい。
そこから数時間は、まじで地獄だった。浸水した床に浮かぶソファに腰をかけながら、管理会社に対する彼の怒号を隣で聞く。まじで地獄だった。ていうか、私は私の誕生日のことを忘れて、もうただひたすら神に祈っていた。
「神様、お願いします。私がお家に帰る勇気をください」
そんな願いも虚しく、私は彼の浸水した家で22歳の誕生日を迎えた。
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多分、私はこの日を一生忘れないだろうな。そう思いながら、浸水した彼の部屋のソファで、一人様々な思いを胸に巡らせていた。