何をもってしてウソなのだろう、とふと疑問に思った。Wikipediaでは「事実ではないこと。人をだますために言う、事実とは異なる言葉」と説明されている。私の持ち合わせていた解釈となんら齟齬は無い。

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私は図書館で接客をしているので、毎日利用者からいろんな質問をされる。この本はどこにあるかしら、利用者カードは他県在住でも作れますか、本の延長は何回までできますか…エトセトラ。本当にまぁ接客業って大変だわと思いつつ、私もスーパーに行けば商品の在処を聞くことがあるので人のことは言えず、いつも精一杯の作り笑顔で対応している。

そんな毎日の中で先日、事件は起こった。いや、事件になる前に防いだので結果的には無事故だったのだが、私は自分のこれまでを疑うほどの衝撃を受けたのだ、聞いてほしい。
利用者から「父が入院した。父がここで借りている本がないか教えて欲しい」と言われた。本来であれば、ご本人の利用者カードを持ってきていただくことで冊数を教えることはできるのだが、あいにくその方はお父様のカードの在処を知らないとのことだった。

私のいる図書館では、カードを忘れた方は氏名、住所、電話番号を書いていただければ本の貸出はできるようになっている。そのため、私は何の疑いも躊躇いもなく「お父様の情報をお書きくださればお調べすることは可能です」と回答した。

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が、すべてを聞いていた責任者が割って入り、その対応は出来ない、と私の対応を訂正し、お詫びした。幸いにもその方は理解してくださり、事なきを得たのだが、私から出た声は心からの「えっ?」だった。

理論上は可能なのだ。しかし、個人情報云々の観点からそれは出来ないと言われ、挙句「分からないことは独断せずに聞いてください。間違った情報や対応は嘘をつくことになるので」と軽く叱咤された。

目からウロコがぽろぽろ溢れた。私の対応が間違っていたというのは大変申し訳ない。しかし、私は私の対応に一切の疑問を持たずに今回のしくじりをやっているため、この事象に対して「分からない」と思えなかった。対応可能だ、と決めつけてかかったため、当然誰かに聞くなんて選択肢もなく、行動した。その結果「嘘をつくことになる」と言われてしまったことがその後ずっと心に引っかかってしまうことになる。

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恐ろしいのは、知らず知らずのうちに私が嘘つきになっているかもしれないということだ。「これはこう」と思ってやっていることが、もしかしたら全部間違っているかもしれない。

そう思い始めると、一挙手一投足が慎重になりすぎる。個人情報漏洩がどうとかで入院中のお父様に訴えられたりでもしたら、私は私の小さなミス(嘘)のせいで身を滅ぼしたかもしれない、などと思うとゾッとする。

事実と違うことを話せば嘘になるという定義上は、相手を騙そうなんて気は微塵も無いことも、誤認があれば嘘になる。そして嘘は取り返しのつかない事態を当たり前のように招く。

しかし、言動一つ取るのにいちいち事実確認なんてできないし、気をつける気をつけないで防げるものではないのだから、私たちは無意識のうちに「嘘つき」になっている可能性を視野に入れて生きなければならないのかもしれない。ある程度の嘘は許せる気持ちを持っていなければ、あまりにもこの世は生きづらい。