「いや、恥ずかしいわ。女子のsenaより数学の点数が低いだなんて」
は?それは本気の言葉?
私は女子だから、男子だからで数学の得手不得手を見ようとするあなたが今苦手になりました。冗談でもそんな自虐が出てくるセンス、吐き気がします。
私は私。女子ではあるけれど「女子なのに」だなんて、あなたの中にある女子代表の平均値を勝手に持ち出されていることだって不快でならない。
……と伝えるわけにもいかず、隣に座るクラスメイトの言葉に対してとっておきの呪詛の言葉を閉じ込めて苦笑した。
高校3年間を穏やかに過ごすために必要な我慢だった。ヒステリックに言ったって、何あの子ってなるんじゃないかって心配、それと相手への諦めもあった。
気になっていた子からのふとした言葉。本人はきっと言ったことなんて忘れている、何気ない会話だったから。
でも、淡い好意なんてすっとんでいってしまう衝撃で、私は悔しくて、いっそう数学を頑張った。
何か文句ある?女子でも数学できますし?
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理系に進んだときだってそうだ(結局文転して、私は歴史や文学を志すのだけれど)。
「理系女子ってレアだよね」という言葉ならまだぐっとこらえられる。理系女子が現在の日本でどちらかといえば少数派に入ること、それは事実だから。
じゃあ「理系女子って格好いいよね」って言葉。これは、なんだかもやもやする。
理系を選んだこと、文系を選んだことは進路の選択という以上の意味を持たないのだ。理系であるから、理系女子だから格好いいだなんてことはないのだ。私はただ数学ができたし、伸ばせると思ったから理系を選んだだけ。
理系女子であるというステータスがざらりとのどにはりついて離れない。
私は生物学にうといが、性差というものが存在していることを知っている。筋力、そしてホルモンのバランスによって。しかし、性差と同時に個体差、個人差もあるのだ。
この世の中には性差を考慮しなければならない事項はいくつもあるし、そのすべてをフラットになんてことは困難だろう。
しかし、数学は、数学に性差はないのだと私は思っている。
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古代の著名な女性数学者にヒュパティアという人物がいる。
数学史を扱った講義で知り、私は非常に勇気づけられた。
聡明な彼女の生き方を学ぶことで、女性が理系を志すことに一定の皮肉を向けられなければならない現状が変わってほしいと願った。
数学が、化学が、と得意なことに「女子なのに」とつけられることが心底嫌でした。
じゃあ、数学が得意でない男子は駄目?そんなわけがない。
数学が苦手な男子がいたって、得意な女子がいたっていいの。
何が得意だっていうのに性別を持ち出さないで、お願いだから。
私の好きを、得意を、性別を理由に「なのに」と言わないで。
学問を「女性だから」「男性だから」とあきらめる人が、そういった言葉で自分の選択を見誤ったり揺らがされる人が減る、そんな日本の未来が見たい。