「大丈夫、大丈夫」そう言い聞かせる私は自分に嘘をついている。
いつも難なくこなしていることもその日の調子で少し辛かったりするのは誰にでもあると思っている。

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私はそんな日に大丈夫だと自分に言い聞かせる。ちっとも大丈夫ではなくても。正直に言うとその言葉で辛い気持ちが楽になることは全くとは言わないがほとんどない。自分から自分への大丈夫という言葉で自分の調子が悪化することも少なくない。

少し休んでもいいのではないか。私はその言葉が自分に言えない。ただ、気持ちは楽にならなくても大丈夫だと自分を追い込むことで動きたくない身体を動かすことはできる。そして物事がうまくいくことだってある。

そう思うと大丈夫ではない時に大丈夫だと自分に嘘をつくことは必要なのではないかと考えている。それでも嘘をついて行動できない日だってある。自分を追い込んでしまうことにもなる。追い込んだことで辛くなる時もある。でも私の場合そんな時に休んだとしても休めた気がしない。休んでしまった罪悪感で辛くなる。追い込んでも辛い、休んでも辛い。

ならば動いてしまった方がいい。真逆の考え方としてどっちにしろ辛いのならば休んだ方がいいという意見もあるかもしれない。でも私は気分が落ちている時を除いて、常に、動いてしまった方がいいという考え方だ。

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大丈夫だと自分に嘘をつく私は大丈夫だと他人にも嘘をつく。

人に相談できないわけではない。それなのに大丈夫だと嘘をつく私はそれで自分を保っている。自分のことを話したり、相談すると気分が落ちることがある。今日は話すと気分が落ちそうだというのが自分で分かる。そんな時は大丈夫じゃなくても大丈夫だと嘘をつく。

その嘘が吉と出るか凶と出るかは私にも分からない。嘘をついて自分を保ったつもりでも気分が落ちることだってある。それでも嘘をついたことで自分を守った気でいる。嘘をつくというとあまりいいイメージはないかもしれないが、私は頑張るために、自分を守るために、嘘をついて自分を騙すことが必要だと思っている。

そこには今辛くても嘘をつけばうまくいくかもしれないという少しの希望が込められている気がする。普段は明日や未来に希望など持てないが、嘘をついて自分を騙した先の自分にだけは希望がある。その希望だけは失わずにいたいし、その希望に縋っていた方が私は安心できる。

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このような考え方になってそんなに時間は経っていない。だからここで強く言えるほどではないのかもしれない。でも、今日は動けないかもしれないという自分に嘘をついて動かした身体と気持ちで得る達成感は、そう思わずに動ける時の何倍もの量だと自分は思っている。

自分に嘘をつくことがいいのか悪いのか、現段階では分からない。きっとこの先も分からないのかもしれない。それでも、嘘をつけば動けるかもしれない、それで達成感を得ることができるかもしれない。そんな自分が嫌いではないし、むしろ好きなのではないかと思う。

私は、自分の好きなところやいいところ、いわゆる長所を見つけることが苦手だ。でも、嘘をつくことによって自分の一部を好きになれた。
私にはきっと嘘が必要なのだと思う。