両親の寝室で、私は人生で最大の後悔をしていた。「最悪だ……」という呟きは、主のいないダブルベッドの上に消えて行った。
あの頃、小学5年生だった私は爪切りを探していた。その手のこまごましたものが収納してある場所は、どこを探しても見つからなかった。だから普段あまり入らない、両親の寝室に足を踏み入れたのだ。そして父の枕元にある、小さな桐のタンスの引き出しを開けた。
そこにはコンドームと、大人の玩具が入っていた。
ものすごくショックだった。厳格な両親に育てられて性の知識が皆無だった私は、妊娠についての知識もなかった。男と女がキスをして、精子のようなものがシュッと相手の口に入っていって、子どもができると思い込んでいた。セックスはどこか遠い国の、いやらしい人間がするのだと思っていた。
その行為を、両親がしている。何より嫌だったのは、大人の玩具が入っていたことだった。父が男性器をかたどったそれを使って、母をよがらせている姿を想像すると、吐き気がした。
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私は昔から「男が女をいじめる」という構図が苦手だった。みんなそのような構図が好きなのだと、映画やアニメや漫画を見て、薄々感づいてはいたから、流行にはあまりついていけなかった。別に、幼い頃に性的虐待を受けていたトラウマを抱えているわけではない。ただ女性がかわいそうで、見ていられないのだ。
これは人間に限った話ではない。当時はカブトムシを飼うのが流行っていて、私もオスとメスを友人からもらって育てていた。ある晩、オスがメスを追い回し始めた。オスは逃げるメスを捕まえて、ほとんど無理やりといった形で交尾を始めた。メスは「捕まっちゃったな」というような、切ないような顔をしていた。私は生き物をつがいで飼うことは二度としないと決めた。
あの日から、父に反抗的な態度を取るようになった。父は悲しそうな顔をするだけだったから、私はそれを良いことに、そっけない姿勢を崩さなかった。両親は「反抗期ね」と話していたが、分かってもらえなくて悔しかった。母をいじめる男が許せないから、嫌な態度を取っているのに。
子どもにだって、言えない事情がある。それを「なんだかよく分からない、子どもっぽい行動」と言われることによって、いつまでも大人にならせてくれない。
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引き出しを避けて生きて、あれから25年が経った。
実家に帰省した時、息子が「おもちゃの電池がない」と騒ぎ、母は「じいのベッドのそばにある、桐のタンスにあるよ」と言った。「あのタンスだ」と私は思った。
咄嗟に息子に「取りに行きなさい」と命ずるも、彼からは場所が分からないと返された。母から「あんたが取りに行ってあげなさいよ」と言われ、私は憂鬱な気持ちで、寝室へ足を踏み入れた。そして意を決して、その引き出しを開けた。
入っていたのは、お線香だった。
「あれ?」と思って、手当たり次第に他の引き出しを開けてみた。電池、筆、写経が入っている。どこにも大人の玩具や、コンドームは見つからない。
そういえば父は、祖父と伯父を亡くしてから、毎朝お線香をあげて手を合わせていた。週末も墓参りを欠かさず、お経を唱えているのも聞いた。私の中で父のイメージは「母をいじめる男」から、「天国にいる家族へ、祈りを捧げている老人」へ塗り替えられていった。
「なぁんだ」と私は思った。怖いものは、そのままにしておけば、いつしか怖くないものに変わる。そこで私がもがいても、仕方ない。放っておけばいいのだ。私は電池を取って、寝室を後にした。マッサージを2時間受けた後のように、体が軽かった。
もう、この引き出しは怖くない。そういえば近所に良い匂いのお線香が売っていたから、父に買ってあげよう。こうしてまた私は一つ、大人になった。