「何を食べても、味がしないんだよね」

そう話す先輩の、言っている意味は理解できるけど、それが一体どういう感覚なのかは全く想像できなかった。

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コロナウイルスの後遺症に、「嗅覚・味覚障害」があると聞いてはいた。それがこんな身近に存在していたとは。

食べても味がしないってどんな感覚?唐辛子を丸齧りしたり、レモン一個食べ切ることだってできるわけ?本当に不謹慎なのは承知しているが、心配よりも好奇心が勝ってしまっていた。

だからきっと罰が当たってしまったんだろう。私もしっかりコロナウイルスに感染し、その後遺症として嗅覚・味覚障害を患った。
しかも、予定が詰まっている週にその症状は現れた。

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まずはコーヒーのセミナー。いつもならカフェの扉を開けた途端、コーヒーのいい香りが出迎えてくれるのだが、今日は何も感じない。この時はまだ、鼻の調子が悪いのかな、くらいにしか考えていなかった。

豆の産地や焙煎方法、淹れ方の違う様々なコーヒーを飲み比べていく。
「大地のような力強い風味ですね」「アロマのような香り」などの感想が耳すり抜けていく。自分が味覚障害を持っているなどという考えに至らず、「私にはコーヒーの違いがわかるほど舌が肥えていないんだ…」と落ち込んで帰宅。

翌日、上司がちょっと良い焼肉屋さんに連れていってくれた。そこで流石に確信する。私は味覚がない。せっかくの上等なお肉なのに、柔らかいその食感だけ楽しむという贅沢。いや、実際には贅沢ではなくただの損なのだけれど。

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さらにその週末、ずっと前から予定していた後輩とカフェへ。美味しいものを食べることが大好きな後輩は、気になるカフェを前からリサーチしてくれていた。断るのも申し訳ないし、私は後輩と過ごせるだけで十分だ!と自分に言い聞かせる。

「実は1週間くらい前から嗅覚と味覚を失っていて…」

そう話しながらも真剣にケーキの種類を選ぶ私は、なんと信憑性のないことか。
そんな私の食い意地を笑うでもなく、後輩はとても心配してくれた。つい1ヶ月前、先輩が味覚障害を患った時の私の感情とは、天と地の差。私に罰が当たるのも納得である。

「このアップルパイ、上のシナモンパウダーが良いアクセントになっています」「バニラアイスともとっても合います」
「メイプルシロップをかけたら、味を感じるかもしれませんよ」

後輩は味を伝え続けてくれた。本当はゆっくり味わいながら食べたかったかもしれない。それでもなんとか私にも感じてほしいという配慮が心に沁みた。

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そう言われると、確かにちょっとシナモン感じるかも。メイプルも甘い気がする。
浮かれた私は、帰りに後輩と立ち寄ったベーカリーで、パンを3つも買って帰る。

帰宅後ワクワクしながらパンに齧り付くが、やはり味はしなかった。

ピコン、とメッセージが届く。

「紅茶の香りがして、味はチョコスコーンみたいでした」
「クロワッサンは歯応えがあって、サンドイッチにしたら美味しそうです」

それから1週間ほどして嗅覚も味覚も戻ってきた。
あの日味覚を失った代わりに、もっと大切なことを後輩に教えてもらった。