突然だが、私の中には私以外の人格が存在する。いきなり何を言い出すのかと思われるかもしれないが、紛れのない事実だ。
お世話になっている精神科医には、この人格たちの存在を「解離」と名付けられた。要するに、元は一つの人格だったものが耐えきれないストレスに晒されて自己防衛をした結果、解離(別人格の発生)を起こしたらしい。

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この私の中の存在を初めて認知したのは小学6年生のとき。記憶が飛んで、気がついたときには休みの小学校の校庭。手には食べかけのケーキなどの高額な菓子類、何故か満腹になっているお腹。
この時のお金は姉から窃盗したものだったらしいのだが、私には一切記憶がない。なので、はじめは何らかの原因で記憶喪失になったのだと思っていたのだ。
そうではないと気づいたのは2回目の記憶を失ったとき。メモが残されていたのだ。
いつもの私とは違う筆跡、幼い子どものような文字で一言書かれていたのは「またなかであおうね」。
その日以来、記憶が飛んだときには様々な筆跡でメモが見つかるときと見つからないときがあったが、もうほぼ確定だった。

私の中に私じゃない誰かがいる。それも複数。記憶が飛んでいるときには私は「中」とやらにいたのだろう。
なぜ複数いると断定できたか、それは残されたメモにヒントがあった。異なる筆跡、漢字が使われているものと使われていないもの、子供のような幼いメモから硬質な大人びた男性のような書き方をされたメモまで様々なものがあったのだ。
当時の私は、自分の中に誰かがいる、ということが気持ち悪く、また家族に話しても信じてもらえないだろうと思ったことからメモをこっそり処分し、これらの出来事について家族に話すことはなかった。

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これらの記憶喪失、もとい人格交代はその後も度々起こった。
あとから聞いた話で補完している部分が多いので正確には話せないのだが、記憶を飛ばしているとき衝動的に家を飛び出したり、友人とトラブルを起こしたり。
迷惑だ、と思った。いつも問題ばかり起こし、その責任は我にかえった私が全部被ることになる。
理不尽だ、とも思った。
だが、今になって思うのだ。
「あぁ、記憶を失うときって、いつでも私が我慢してた時だったな」
彼ら彼女らは私が我慢して、我慢して、自己否定して、卑屈になっているときにその苦しさから交代して解放しようとしてくれていたのかな、と。

大人になり、精神科にかかるようになり、私は初めて私の中にいる子達について他者(主治医)に話したが、主治医の見解も私と似たようなものだった。そして言われたのは「唯花さんの中に沢山の人格がいるのは間違いないけど、全部元は一つの人格、つまりは唯花さん自身なのだから否定しないであげてね」
そう言われたときに私はなんだか肩の力が抜けた。
そっか。全部私なんだ。私は私の中にいる人格を否定しなくていいんだ。と。

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精神状態が安定してきて、環境的にも落ち着いてきた今、彼らが私と交代することはほとんどなくなった。でもいなくなったわけじゃない、というのはなんとなくわかっている。
あの子達は私の中で眠っているだけだと思う。私が以前と同じような、自己否定や我慢して卑屈になったときにまた目覚めて、「しょうがないなあ、唯花は」と言いながら交代して私の苦しみを代わろうとしてくれるんだろう。
それが嬉しくもあり、一方でみんなをまた起こして頼ることが無いように、自分自身が心身のコントロールをしっかりやっていかないといけないな、と思う。
そしていつか、本当に「大丈夫」になったとき、みんなが私の中に溶け込んで1つになってくれたら嬉しいな、と密かに考えている。その時を楽しみに、私は今日も心穏やかに過ごせるよう頑張るのだ。