3年1組は崩壊していた。
定年間近の女性教員、か細い声にくぼんだ目。小柄な体格は、小学生だろうと背の高い男子生徒には勝てなさそうな風貌。

年功序列だろうか、学年主任となった彼女のクラスには問題児が集まってしまい、何人もの問題児が彼女を舐めていた。

そのうちの1人に、背の高いリーダー格の女子がいた。私はバレー部に所属していた彼女の金魚のフンになることで、崩壊するクラスでつかの間の安寧を手にしていた。嫌な思いをしなかった訳ではいけれど、いじめられるよりはマシだ。

◎          ◎ 

テストで100点を取らないようにしていた。真面目な印象を持たれることはリーダー格の女子から距離を取られることと同義で、カーストを落とさないためにはやんちゃな女子を演じる必要がある。

大きな用紙、カラフルなイラストが散りばめられたテストは、100点を取らない方が難しい。一通り解答してから、わざと答えを間違えた。「名前の書き忘れ注意ね〜」と時折降ってくる声を聞きながら、間違えても違和感のない問題を探す。消しゴム片手に、分子を適当な数字に変えたり、間違えやすい漢字として授業で触れた方を書いてみたりするのだ。

わずか9歳、小柄だった女の子がこんなことに頭を悩ませていたと思うと、我ながら気の毒に思う。

工作に必死になるのは、イメージだけが理由ではない。

金魚のフンだろうと同じグループ、うちら仲良いよねと言われたら笑い合える関係で、カンニングの悪ノリに巻き込まれることもあった。彼らはテストでいい点数を取りたい訳ではい。教員を舐めている小学生が、ドラマで見たヤンキーに憧れて、暇つぶしにヒヤヒヤしたいだけ。そんなお遊びに付き合わされることになり、爪で机をトントン叩いたり、目を見合わせて瞬きしたり、幼稚な方法で選択問題の答えを教えていた。
おそらく、私もそうすることを楽しんでいたのだと思う。1クラス35人、狭い世界で毎日顔を合わせる子たちの影響を受けず、自分1人の信念を貫こうとするには、私はまだ幼かった。

◎          ◎ 

小中学校は公立に通っており、学習塾にも通ったことがなかった。そのため、高校受験という名の振り分けではじめて、学力が同じくらいの人間が集まったコミュニティを体感した。

高校全体がただでさえ居心地がいいのに、2年次に振り分けられた文系選抜クラスは穏やかな女子がクラスの8割を占めていて、さらに和やかな毎日を過ごすことができた。
やんちゃなふりをしなくていい。100点を取らないように気をつけなくていい。むしろ、賢い方が羨望の眼差しを集める環境。

私が育った地方では中学受験も超少数派で、小学校の卒業式でみんなと違う制服を着る子は教育熱心なママに育てられているのだろうと思っていた。しかし、知力と財力でこの環境が早くに手に入るのなら、受験をさせる気持ちも分からなくもない。それほどまでに真逆の、この世のオアシスのような環境を享受することができたのだ。

◎          ◎ 

学力で人を区別してはいけないとは思う。しかし、中学卒業以来、カンニングや宿題を写させていた人たちとは一切会っていない。1人も、ただの1度も。もちろん連絡先も知らない。これが全てだろう。

1クラス35人、あの頃は世界の全てだと思っていたものが、今となっては1ミリも心を動かさない、石ころのような存在になり変わったことを忘れたくない。どんな環境で張り詰めていても、数年後には彼らの名前も覚えていないのだから。