「将来、パパと結婚したい!」

と言ったことがある人。心の中で挙手してください。
これを聞いて黒歴史を思い出した人がいるかもしれませんが、安心してください…
私も「パパと将来結婚するのぅぅ…」とグズっていた女の子でした。

しかし不思議なことに、小学校の高学年になったあたりからお父さんのことが何となく嫌になり、「あっちにいって!」とか「うざい…」とか、お父さんにきつい言い方をするようになりました。
中学生、高校生、大学生になるにつれて、お父さんは私のなかで透明人間になっていきました。お父さんは私にとって「好きでもなければ嫌いでもない、ただいるだけの存在」になってしまいました。

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…と、まるで物語のように私と父との関係を紹介してみたが、もしかしたら共感してくれる人もいるだろう。私みたいにお父さんが何となく嫌になって、何となく距離をおいて、何となく一緒に過ごしている(もしくは過ごしていた)人もいるかもしれない。

私にとって父のイメージは“外で働く人”であり、一緒に遊んだ思い出とかはあまり覚えてはいない。
前述した通り、父は私にとって透明人間のような存在になっていったので、父を気にかけるようなことはほとんどしなかった。もしかしたら私は冷たい娘なのかもしれない。

でも、父は決して嫌な人ではない。SNSなどで挙げられている怖い父親や酷い父親と比べれば、私の父はまるで天使だ。昔も今(?)も、父は娘の私に甘い。
末っ子かつ父にとって初めての娘だった私は、甘やかされて育った。
欲しいものは何でも買ってくれたし、いつも笑顔でとても優しい。箸の持ち方など、日常生活に関することは厳しく躾けられたけれど、それ以外は私にでれでれだった。
こんな父が今や私に透明人間として扱われていることを考えると、少しかわいそうな気がする。

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私は父を透明人間にしてしまったが、決して父が嫌いな訳ではない。
時が流れるにつれて、何故か父との距離が遠くなってしまっただけであって、「うざい」とか「どこかに行け」とか思っているわけじゃない。父の前では素直になれない私は天邪鬼なのかもしれない。

でも、私の父の素敵なところは数えきれないほど沢山ある。

母が私を妊娠していたときに、父は家事を手伝ったり、猛勉強して宅建士の資格を取り、Windows95をバリバリ使いこなして仕事をしていた。私が学校で怪我をしたときも、仕事が大変なのに電光石火の如く駆けつけて病院に行ってくれた。
また、私が生理で不機嫌になり父に八つ当たりしてしまったとき、父は私に温かい飲み物と湯たんぽを持ってきてくれた。お腹が痛くてうずくまっているときには、薬を買ってきてくれた。
こんなに優しい父なのに、私は父の前では素直に「ありがとう」すら言えない。

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いま、このエッセイを書いてる日がちょうど父の日である。私は父にコーヒー豆をあげたのだが、「いつもありがとう」ということができなかった。
それどころか父の日なのに、父は私と母を外食に連れて行ってくれた。もちろん父の奢り。
いつも優しい私の父。いつかあなたに心から「ありがとう」と言える日が来ますように。