私が幼かった頃、父親の記憶は、怖い父親だった。

私は、幼い頃、父親が苦手だった。父親は、ハッキリ言えばスパルタ教育をする厳しい父親だった。父親は、高校の教師だった。

今では言いづらいが、幼い子供達が父親の言う事を守らなかったりすると、夜だろうと構わずに家の外に出された。そして、暗闇の中、家の近所の道を何周も走らせられた。本当に鬼の様な父親だった。

幼い頃は、夜道が暗くて怖くて、それだけで嫌だったのに、厳しい父親が家の中からシッカリと睨んで私を見ていたので、嫌嫌走った記憶が今も残っている。

そのお陰で、今は逞しい大人になれた。少し感謝をしている。

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私の父親は、学生の頃は体育会系で、とにかく礼儀や生活態度に厳しかった。

自分の父親が友達の父親よりもかなり厳しかったので、優しい友達の父親が羨ましかった。そして、友達が父親に対して「パパ〜!!」と呼んで甘えているのを見て、私の父親には絶対に出来ないな、と悲しく思った。

子供の頃、父親に対して「パパ〜!!」なんて呼んだら、絶対に返事を返して貰えなかっただろう。そして、「パパ」と呼んだ事を怒られただろう。

そんな父親と、私は大学を卒業するまで一緒に暮らした。今、思えば大学を卒業するまで両親と実家で一緒に暮らせたのは凄く幸せな事だが、当時の私は、厳しい父親と窮屈な想いをして一緒に暮らす事が嫌で仕方がなかった。

そして、私は大学を卒業して両親の元を離れる事となった。私の就職先は、新幹線で行かなければならない、遠い地方へと決まった。

まだまだ、世間知らずの私は、厳しい父親から離れられる解放感で一杯だった。そして、実家から荷物を運び、まるで遊びに行くかのように、新幹線に乗って遠い地方へ就職した。

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だが、とても楽しみにして向かった就職先は、私の想像と全然違った。私が勤めた会社の人間は、話す方言から考え方・人との接し方まで、今まで私が経験してきたのと全然違ったのだ。

私が一番嫌だったのは、私に直接聞いたり、話をせずに、他の人に私の事を聞いたり話したりされた事だった。何故、直接私に聞いたり話したりしてこないのか?私の知らない所で、私の事が聞かれて話されている。私は直ぐに、会社に対して不満と居心地の悪さを感じた。

そして、私は、常に見られてる。私は、職場の人から見られている。と知り会社の人間が心底嫌になった。そして、会社で本音で話せる人間が居なくて孤立をした。

私が今まで育ってきた環境は、他人に干渉せずに比較的、自由な環境だったと思う。だから、それが当たり前で何処の職場も他人に干渉しない風通しの良い職場だと思っていた。

だが、違った。私は、就職して2ヶ月で心がスッカリ病んでしまった。幸い職場の人達も私の異変に気付き最大の配慮をしてくれたが、私の心は完全に閉じてしまい、誰に何を言われようとも職場で前向きに働く気持ちにはなれなかった。

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そして、私は10月には完全に職場へ行かなくなった。その時、何度もためらったが実家の両親へ、やっと電話をした。電話に出た母親は、電話口で「折角、内定を貰った会社なのに、何やってんのよ〜」と泣き、母親から話を聞いた父親は、その日の夜に、新幹線に乗って私の会社の寮へ来た。

父親と会うのは久し振りで、父親は私の異様な痩せ方に驚きながらも私が職場へ行かなくなった話を聞いてくれた。時折、私のしている事に怒りながらも、最後まで私の話を聞いてくれた。

翌朝、私と父親の2人で暫く休んでいた職場に行き、上司と話した。職場の上司は最悪で、私が父親と2人で会社へ来た事に驚き、そして父親が怖かったのか、手の平を返したように態度を変えてきた。そして、上司は低姿勢な態度で私の会社での様子を父親に話した。

私は、その上司の事が大嫌いで、「アンタの教育が全然ダメなんだよ」と言ってやりたかったが、わざわざ遠い所から父親が来てくれたのもあり、感情的になるのは止めた。

その時父親は、ただ黙って話を聞いていて、最後に「話は娘から聞きました。分かりました」と冷静に話してくれた。私は、本当は上司の前で父親から怒られるかな、と心配をしていたが、父親は私を怒るどころか大嫌いな上司から守ってくれたと感じた。

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今まで私は、父親の事が怖くて苦手だったが、本当に私が苦しい時に助けてくれるのは、父親だと感じた。だから、これからは私は父親に感謝をして父親を助けていかなければならない。

それから私は、直ぐに地元へ戻り今は、高校の教師をしている。沢山の職業がある中で父親と同じ職業を選んだのは、私が父親を尊敬しているからである。