私はどちらかというと、「父親似」な方だ。

私の目は、幼なげに見える奥二重である。その上にはぽてっとした少し濃いの眉。私が生まれたばかりの頃に撮られた若い頃の父の写真を見ると、それとよく似た顔が写っている。

私は幼少の頃から、本を読んだり、絵を描いたりすることが何よりも好きだった。誰かと遊ぶより一人で手を動かす方が楽しくて、家でも保育園でも黙々と一人遊びをする子どもだった。母はそんな私に「お父さんに似たんだね」と言った。

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母に、父は若い頃どんな人だったのかと聞くと「とても几帳面で、黙々と何かに熱中するタイプの人だった」と教えてくれた。

母はエネルギッシュで行動力のある、とても朗らかな女性だ。対して私は内向的で人見知りで、彼女に似た部分はほとんどないけれど、その分父の要素を受け継いだのだと思う。そんな風に自分が「父親似」である自覚もあって、私は昔から父のことが大好きだ。

仕事で忙しく家を空けがちで、たまに会えた時に聞くことができた、父の穏やかな声。私と妹に向けられる、優しい眼差し。今もはっきりと記憶に刻まれている、私の宝物のような記憶だ。

そんな素敵な思い出は、私が小学校二年生の時に終わってしまった。
両親が離婚し、父が家を去ったからだ。

母はまもなく別の男性と結婚し、私と妹は新しい二人目の父親を迎え入れた。
連れ子の私たちにも気さくに接してくれる彼は、「父親」というよりは「友達」のような存在だった。遊びでも子どもっぽく本気になるところが本当におかしくて、今でもその楽しそうな笑い声を思い出す。

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彼と暮らし始めて数年後。母は再び離婚し、また別の男性と結婚した。三人目の父親がやってきた。
彼と母の間には弟が生まれた。継父と母と三人きょうだいの五人家族となった私たちは、楽しく賑やかな生活を送っていた。継父は、ちょっと抜けているところはあるけれど、愉快で朗らかな性格で、素敵な父親だった。

弟は大きくなり、継父との暮らしも長くなってきた。
なのに私は、度々実父のことを思い出しては、一人で泣いていた。
中学生で思春期だったのもあり、継父を「実の家族でない、一人の男性」として意識してしまうことが増えていて、その反動だったのだと思う。私はどうしても、継父を「父親」として認められずにいた。

そのせいで、自分と血のつながっている実父の存在が、小さい頃の少ない思い出が、心の中でみるみるうちに膨らんでいく。実父が私の「お父さん」で居続けてくれたら良かったのに。そう何度も思ったけれど、そんな自分が嫌で惨めだったし、誰にも打ち明けられなかった。

優しい両親と大好きなきょうだいがいて、何不自由ない生活を送っていても、心の奥底には重い孤独感があった。

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自分にとって「父親」って、誰なんだろう。そんな疑問が晴れないまま、私は高校生になっていた。そして、互いをうまく思いやれなくなってしまった継父と母は、最終的に離婚してしまった。

シングルマザーと三人きょうだい。私たちは「父親」のいない家庭となった。母は女手一つで、厳しい生活の中、私たちきょうだいを育て上げてくれた。
私たち家族は、性格も好きなものもバラバラなのに、昔も今も変わらず仲が良い。それはもちろん、三人を愛情深く育てくれた母のおかげだし、今までの「父親たち」のおかげでもあるのだ。

子どもだった頃の私は、両親の結婚と離婚で住む家や苗字が変わっていく中、大人にもみくちゃにされて生きているような気分だった。それでも、大人は大人で大変なのだから迷惑はかけられまい。泣いて喚きたいのを堪えた日が、沢山あった。

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大人になってから、周りには自分が想像する以上に、様々な家庭があることを知った。誰もが家族との関係の中で苦悩しながら、幸せを追求して頑張っているということに気づいた。
そうして私はようやく、思い出の中にいる三人の父親の存在を、ゆっくりと認められるようになった。

私の家族でいてくれた父親たち。彼らが今どこで、どんな人と暮らしているのか、私は知らない。彼らは、母や私やきょうだいたちのことはもう思い出さないかもしれない。それでも私は、彼らの今の暮らしがどうか幸せなものであって欲しいと、心から願っている。

父親はもういない。私の中で「父親」は、永遠に空席だ。
けれど、その「父親」の席にいた人たちがかつて私を育ててくれたのは確かで、今も私の一部として、思い出として存在してくれている。
三人の父たち。これからもずっと、私を見守っていてね。