最近久しぶりにスポーツをしたくなって、大学時代のサッカー部の後輩といっしょにフットサルをした。ボールが足の親指の爪にクリーンヒット。しかもその日はスパイクでもトレシューでもなくて、ランシュー。あ、爪が壊死するやつだ、と直感でわかった。久しぶりのフットサルでアドレナリンが出ていた私は、その瞬間は元気で最後までプレーした。
しかしその夜、痛みが激しくなった。眠れない程痛かった。爪は灰色に変色していた。バファリンを飲んだ。痛すぎたので、翌日は会社にも持って行った。幸い、少し痛みは引いて、バファリン無しでもやっていけた。
スポーツの痛み。それは心身どちらにも起こりうる痛み。でも、心の痛みはなかなか引かない。
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たとえば、中学のソフトボール部で感じた心の痛み。中学の部活の顧問の先生がしばしば言っていた言葉。「これは部活なんだ、みんなで楽しくやる体育の授業じゃないんだ」部活が体育の授業みたいなら楽しいのに。評定5だって取れるのに。そう思っていた。
運動神経が悪いわけではないと思う。体育は5が取れたから。それでも足が遅く怖がりなところがある私は、なかなかレギュラーになれなかった。レギュラーになれないと実践練習が積めない。そうすると、突然ポンと実践の機会をもらえても、場数が少ないからオドオドしてしまいエラーやミスをしてしまう。それで評価が下がって、レギュラーからは遠ざかる。モチベーションも下がる。悪循環だった。
みんなで楽しくやる体育の授業の方が、私のパフォーマンスは上がったと思う。公平に出場機会がある方が、私はのびのびプレーできたと思う。
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たとえば、高校のハンドボール部で感じた心の痛み。高校時代の部活の顧問の先生は、ハンドボール競技経験があり、授業も教えるのが上手で、親しみやすいと定評があった。でも、部活中の私へのあたりはきつかった。プレーでミスをすると、声を荒げて注意された。後輩の前で叱られるのは嫌だった。
もうひとりの同期は努力家で尊敬できて仲良しだったが、持ち前のフィジカルの強さに加え、年上の人たちとのコミュニケーションも上手く顧問の先生から信頼を獲得していた。
私の勘違いだったらごめんなさい。でも、常に比べられている感覚があった。先生からも、後輩からも、部活外の同級生からも。劣等感を持たざるを得なかった。対等でありたかったのに。かっこいい先輩でいたかったのに。
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実力で評価されるスポーツの世界。甘えたことを言っているかもしれない。でも、思春期に抱えた劣等感の傷は深かった。笑っているようで笑えていない、やり過ごすだけの時間も多くあった。それは事実だ。
それでも大学でまた運動部に入ったのは、嫌なことが多くても部活が楽しいと思える瞬間も確かにあったから。運動が好きだったし、運動部に育ててもらったという自覚もあって、運動部からある程度の恩恵を受けていたからだ。つまり利己的な理由だった。
でも、それだけじゃないのかもしれない。
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回りまわって、私の経験は誰かの役に立つのかも。
フットサルで親指の爪を痛めた翌日。ちょうどバファリンを持ち歩いていた日。
会社の同期が頭痛がすると言ったので、昼休みにバファリンをあげた。退勤のときには、良くなったと言って笑顔だった。
自分の痛みと人の痛みは、痛む部位も違うし痛い理由も違うけれど、自分の痛みが誰かの痛みを和らげるのに繋がっていたら、なんか報われる感じがして嬉しいなと思った。
心の痛みも身体の痛みも、部活の痛みもスポーツの痛みも他の痛みも全部、経験しちゃった痛みはもうしょうがないから、これからの人生で誰かの痛みを和らげることに繋げたいなと思っている。