会うといつもケンカになる。堅物なわたしのパパは仕事に関しては一流
父に会うといつもケンカしている。父は堅物だから。でもパパと呼ばせてくれる家系で、母はママだ。あんなに石頭な父親でも、「パパ」と呼ぶだけでなんだか可愛いような、優しいような、憎たらしい存在だ。
何故こんなに堅物なんて言うかというと、パパは偉いからなんだ。ビジネス、いわゆる仕事に関しては一流なんだろうなと、この20代前半の若造から見ても感じ取ることができる。働き者で、会社ではあのドラマで見るようなオフィスの一番奥のデスクで他の社員を守っていた。実際に見せてもらったことがある。でも、私がほんの一年前、社会に出るまでは全く分かり得なかったことであった。
偉いってことがパパを堅物にさせているのかな。私の家庭はパパ、ママと呼ぶ環境であっても、「男は外で働き、女は内を守る」みたいな昔のかおりでいっぱいの、苗字が受け継がれていく系のいいとこ育ち系の家系である。
別によくもない。俗にいう亭主関白系親父。いつも私は、休日ですら夕飯の準備を手伝わない怠慢オヤジに腹を立てていた。
パパ以外の家族会議。決定権をママが持ってもいいんじゃない?
こんなことをパパ以外の家族会議で提議したことがある。
「何故みんなパパが一番偉いというの?」
「家族の中で一番頑張っているのはパパだけじゃなくママもでしょ?」
色んな物事の決定権をパパがかっさらっていってしまうことに、私はいつも首を傾げていた。私が意見を言っても「パパに聞いてみて。」、これである。まあそうか、結局ママという関門をクリアしたところでラスボスであるパパを倒さなければ、そのクエストはクリアできない仕組みになっているからな。
しかし、ママはいつも私のそばで、家族の生活というものをかたち作ってくれている第一人者である。パパは私たちの使うお金を稼いでくれていて、ママと「家族」を守ってくれている。何がなんでもパパとママの偉さについては平等に分け与えられるべきだ、と提言しておきたかったのだ。
だから、ママが決定権を持ったっていい。ママがゆっくりしてパパがご飯を作ったりしてもいいんじゃないかと思った。
お金はとても大事である。この若造でも社会に出て身に沁みて分かったことである。自分一人で生きていくのにやっとである私と比べ、自分以外の誰かを守るために、今までどれだけの汗水を流してきたのか。パパ本当に偉い。私が言えたことではないのだが。
パパは偉大。でも、皆一生懸命生きているから権威をふりかざさないで
こんなことを考えると、パパが偉大に見えてきた。まだまだ敵わない気もしてくる。昔ながらの風習にも意味があったような感じがして悔しくもなる。私の未完成な頭で、「誰しもが当事者でなければその人の気持ちはわかるまい、同じ立場になってこそ理解できる物事がある」と悟った。
でも特等席に座ったような気分になって、私に権威を振りかざすようなことはやめてよね。私だってママだって他のみんなだって一生懸命生きてるもん。
みんなお互いの役割があって成り立っていくのかもしれないけれど、苦労も喜びも同じように分かち合えたらいいのにな。
こんな偉そうなこと、面と向かって言うのはまだもう少し先にしてやろうかな。でも充分尊敬はしてるよ。
いつもありがとう。パパから生まれた天才で憎たらしい娘より。