以前母と私にまつわるエッセイを書いたときに、私は母について母親の顔「しか」知らないと書いた。
じゃあ父はどうだろうかと考えた時、父は、父親としての顔「を」知らないというフレーズが浮かんでくる。

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父は、今でいうブラック企業勤めで、朝早くに家を出て帰宅は深夜という生活を長年繰り返していた。おおよそ幼い子供が起きている時間帯は家にいない。たまの休みも趣味の釣りに出かけたりテレビゲームをしたりと一日中自室に引きこもっているような人だった。
まだ未就学児だった頃、父の出勤時にたまたま居合わせた私がまた来てね~と手を振って父をがっくりさせたという話は我が家の笑い話の一つなのだが、父が顔見知りのおじさんという認識になってしまう程度に幼い私の生活圏から遠いところにいたのが父だ。

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そんな父との距離はゲームで近づいた。
5歳の誕生日にゲームボーイとマリオを買い与えられ、私がゲームに熱中し始めると父と共に過ごす時間は圧倒的に増えた。

それまで父がするゲームといえばFFやバイオハザードなどのプレステ系が中心だった。
しかし、幼い私がゲームに苦戦している姿が父にはどう映っていたのかある日父は私からゲーム機を取り上げると隣に座りこみ、私が何度もゲームオーバーになったマリオのステージを軽々とクリアしてしまった。
その鮮やかな手際に私が歓声を上げると、得意になった父はどんどんステージを進めていく。
あれよあれよとゲームは進み、結局私のマリオは父がクリアしきってしまった。
悔しいと思うよりもゲームに一喜一憂したその時間が楽しくて、この頃から隣で父がプレイするゲームを見ることが私のひとつの楽しみになっていった。
土日や、たまに父の帰りが早い日は父にべったりで、早くゲームをしようとせがんでは、ゲームに一喜一憂する日々。

私が成長し、プレステのゲームに興味を持ちだすと今度は私のゲームを父が眺めたり、勝手に進めていたりということがよくあった。
その当時の私と父はまるでゲーム友達のようだった。
そういえば思春期から今に至るまで、世間でよく聞く父親への反抗期なんてものもひとつも無かった。
母のように小言を言うことも将来を話し合うこともない。
父は私にとって年の離れた兄のような存在だったというほうがしっくりくるかもしれない。

私にとっての父とはそういう存在で、兄弟から見ても父はそうなのだろうとなんとなく私はそう思っていた節がある。

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そんな認識を覆す出来事が今年の春先に起こった。

突然だが、私には歳の離れた弟がいる。
弟は最近転勤で実家に戻ることになった。
私も母から聞いてはいたので認識はしていたが、既に実家を出て10年以上が経つ身としてはあまり関係のいことで、私は特に気に留めることもなく日常を送っていた。

そんなある日のこと。
あまり通知の来ない私のLINEが午前中に軽快な音を立てた。見ると画面に表示される〇〇家の文字。
実家を出てから十数年。
今さらながらに何の前触れもなく、我が家に家族LINEというものが誕生した瞬間だった。
突然のLINEグループ設立に混乱する両親と、なぜか実家の夕飯事情を事細かに知ることになった私。

両親のスマホデビューが遅かったこともあるが、そういうものと縁遠かった我が家が何故いまさら家族LINEなど誕生させるに至ったのか。
どうにも気になり、今となっては唯一連絡を取り合っている母にLINEをしてみることにした。
すると母からの返答はこうである。

「〇〇(弟の名前)がお父さんにビビってるからでしょ

父に、ビビる???
滅多なことでは声を荒げることも無く、基本的に冗談ばかりいうあの父にビビる???

私の中の父への印象とその言葉はあまりにもミスマッチで、「お父さんのどこにビビる要素が?」と私は条件反射のように返していた。

数秒後、母の返事はこう続く。

「お父さんはねー、あんたにフレンドリーに接しすぎたって反省したのよ

曰く、父は私に完全にナメられていると感じているらしい。
初耳だった。

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私は両親にとって初の子
しかも女子。
男親である父にとってはどう接していいかわからない存在だった。
大正生まれの厳格な祖父の下で育った父は長男故に色々と嫌な思いをしたことも多いらしい。
にはそんな思いはさせまいとふるまった結果が、私の思う、友達のような父、だった。
嫌な思いをさせまいと、子育てに干渉しなかった結果、私は我が強く自分の意見を曲げず、最終的には役者を目指し夢追い人になる始末。
いい年してアルバイト生活を続け、定職に就こうともしない。
そんな私の姿をみて父は、「子育て、失敗した」と感じたらしい。
私が家を出た当時まだ幼かった弟が私のようになってはいけないと威厳をもって接するようになったんだとか。

良い悪いは別として、結果的に弟は父を恐れるようになり、父子間のやり取りも総て母を介して行われている現状がある。
そういう諸々がいちいち煩わしかったのでは?
と母からのLINEは締めくくられていた。

なんとまあ両極端な。
呆れともびっくりともつかない気持ちになった私は、友人にこのエピソードをビッグニュースであるかのように披露した。
似たような兄弟構成の友人は話を聞き終えるや、あるあるだよーと笑っている。
放任で育った兄や姉の姿をみて、次の子には厳しい子育てをする親、というのはよくある話らしい。

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友達のように気楽な存在だと思っていた父が、そういえば受験期、まだ幼い弟相手に私のようにはなるな、と言っていたのを聞いてしまった日。
もう十何年も経って、すっかり忘れてしまっていた苦い記憶がよみがえる、そんな春先の頃だった。