ヨガを始めて数年経った頃、インストラクターの資格を取得するため、ヨガスクールの合宿に参加した。自動車の運転免許を取得するのと同様に、短期間で集中してレッスンを受け、試験合格を目指すというものだった。

私は大きなスーツケースを持って、合宿開催場所である沖縄を訪れた。空港に参加者が集まり、会場のホテルへ移動し、翌日から授業が始まった。ヨガのポーズの練習の他に、哲学や解剖学といった座学の授業もあった。
美しい自然に囲まれた場所で、朝から夕方まで、ヨガ漬けの毎日。それはそれは楽しくて、有意義な時間だった。

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数々の授業の中で、ヨガ哲学の中の「ヤマ」と呼ばれる、日々生きていく中でやめるべきことを学んだ。
傷付けない。嘘をつかない。盗まない。貪欲にならない。執着しない。
これらを手放すことで、生活環境や人間関係をより良い状態に保つことができるという教えだった。
これに関して、先生はこんな例え話をした。

ある街に、一人の男がいた。彼は富と名声を手にした、その土地で有名な男だった。
ある日、男は小さな船で川を渡っていた。すると、船の底に穴が開き、船に水が入ってきた。船長は男に「荷物を置いて逃げろ」と言ったが、男は「せっかく手に入れた富を手放すわけにはいかない」と、頑なにその場を動かず、やがてそのまま船と共に沈んだ。

物質はいずれなくなるのだから、物に執着したり、物を集めて自分を大きく見せようとしたりするべきではない。もしこのことを男が知っていたら、彼は死なずにすんだだろう。
人が死ぬ時は何も持っていけない。でも、知識だけは誰からも奪われない。知識さえあれば生き抜くことができる。だから、学びを止めてはいけない。

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先生は、「学び続けることが大切だ」と言った。私は、「まあ、そうだよな~」と思った。
私は学校の勉強が好きではなかった。特別秀でても劣ってもいない、ほどほどの学力。歴史は似たような名前が多過ぎて覚えられないし、数学は公式が並んでいるだけで拒否反応が起きた。とにかく、興味がないことは頭にさっぱり入ってこない。教科書の文字を読んでいるつもりが、すべてが脳を素通りしていった。

でも今私はこうやって、ヨガ哲学なんていう小難しそうな授業を受け、先生の話を真剣に聞き、一生懸命メモを取って、先生の言葉を素直に受け止めている。なぜそれができるのか。それは私がヨガに興味があるからだ。学ぶというのは、興味を育てていくこと。その興味の先には、様々な出会いや感動が待っていて、それらが人生を豊かにする。そして私はその合宿で、まさにそれを体験をしたのだ。

私は、「なるほど、そういうことか~」と思った。
先生のありがたいお言葉、くらいに聞いていた言葉達。合宿が終わる頃、ようやくしっかりと腑に落ちて、頭でも心でも理解できて、自分の実になった瞬間だった。

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それから私は、合宿後も引き続きヨガを学び、他にも興味のあるアロマや、アーユルヴェーダという東洋の予防医学についても、本を読んだり、ワークショップに参加したりした。
旅行先では、お土産をたくさん買うよりも、現地でできるアクティビティにお金を使いたいと思うようになった。体験にお金を払うというのは、とても豊かなことだと思えるようになった。

正直今でも、可愛い服があったら欲しくなるし、お金はいくらあっても足りない。先生のように、ヨガの教えに背かずに生きていける人には、まだまだなれそうにない。
それでも、ヨガを通して学んだことは、確実に生活に活きていて、私の人生を良い方に変えた。
少し新しくなった私は、これからどんなことを学び、どんな体験と出会うのか。これからも、心が躍る興味のその先へ。