あの光景もあの味も、二度と忘れることはないだろう。何ヶ月も楽しみに待ち望んでいた瞬間を目前にして、私たちのお昼ご飯は何よりも特別だった。

いかにも庶民的なテーブルクロスの柄の上に並ぶ、具沢山の中華麺。その香ばしさは、推しに会う瞬間に刻一刻と近づく喜び、そして私とNの長くて確かな友情に引き立てられていた。
私たちは20年以上の付き合いだが、そのほとんどが年に1回会うか会わないかの日々だった。でも久しぶりに会う時の印象はいつも同じ。ひとりだけで過ごす時間よりもはるかに鮮やかで、世界がそのままの色で彩られ、少し雑然とする。

Nといる時だけ風景の解像度が上がり、その刺激は私を自由にした。Nといる時の自分が好きだった。

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去年の6月、私たちは念願のライブ参戦を叶えるためにそれぞれの生活を一旦離れ、神戸に降り立った。
Nはいつもと変わらず大胆不敵で面白いのだが、ただ1つ、カバンに付いたストラップだけがNを繊細にした。何ヶ月も前に知らされていたのに、白地にピンクとベージュの優しいイラストが、私を新鮮な気持ちにさせた。Nの姿は全く変わらないのに、そのマークがあるだけで彼女が別人に見えた。
そんなNと連れ立って、神戸の街並みを進んだ。田舎者の先入観だろうか、混みいった繁華街だとしてもどことなくおしゃれで洗練された雰囲気が、この街にはあると思う。

あの日入った中華料理屋は、どの辺りにあるのだろう。旅に慣れた彼女について行けば、必ず目的地に着く。だから私は彼女と行った店や観光地の場所を覚えておくのが苦手だ。例に漏れず今回の中華料理屋だって忘れてしまった。

でも2人で食べたあの味と店の風景はちゃんと思い出せる。
ひやむぎよりも太く、うどんよりも細い中国語の麺料理。Nは海鮮系が好きだから、牛肉がのった物と魚介の具材の物を両方注文した。カニやエビが入っていないことを店員に確認して(私は体質的に合わない)取り分けながら食べた。ほど良く弾力のある白い麺が油としっかり絡まっていたり、魚介スープの染み込んでいたりするあの感じが、美味しさの理由だったと今でも思う。

食べながらの話題はもちろん、推しとそのグループだ。
いつもはLINEでしか伝えていない推しへの熱量を、タイムラグなしにテンポよく言葉にしていく。数時間後のライブへの期待と緊張感がセットになって、私の語りは私の心そのものにより近くなっていただろう。
推しの豆知識を早口で喋る私にNは「いやどんだけ知ってんだよ」と笑い、自らの推しの歌唱力やメンバーの良さを冷静に語った。推し達は間違いなく、テーブルの上の料理をより一層美味しくしてくれたのだった。

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その後のことは想像が難しくないと思う。ツアー最終日だったそのライブは、私のオタク歴の最高を更新した。無我夢中にただ純粋に踊る彼に、「お前の人生、そんなもんで良いわけねぇだろ?!」と言われるくらいの鬼気迫るものを感じた。彼にグーで殴られたような、優しく抱きしめられたようなそんな気がして、私はただ呆然とした。
それはNも何となく感じたようだった。
「彼、なんかすごかったよね」
会場から駅に流れるファンの群れの中で、興奮に身を委ねる私にNは、感じたままを言葉にしてくれた。

電車で神戸の中心部に戻った私たちは、宵闇を転がるように歩いた。全てが美しくて、笑えてきて、まだ始まっていないような夜だった。
高揚感をもって転がり着いた焼肉屋のビビンバの味も、ホテルで食べたコンビニアイスの味も、正直覚えていない。やはり期待は実際の幸福よりも美味しいのかもしれない。

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それから月日は流れ、Nは母になり、私はオタクを辞めた。
LINEのトーク画面には、元オタクの長文と多忙な母の返事が並んでいく。私は推しへの気持ちを残したまま、少しずつNへの嫉妬と疑問を見過ごせなくなっていった。
毎日真面目に働いて懸命に生きる私が、どうしてずっと大切な誰かを見つけられないのだろう。どうしてNは、他人のための人生だけを生きられるのだろう。
Nも私も「お前の人生、そんなもんで良いわけねぇだろ?!」。物心がついた頃からの大切な友人だからこそ、私は自分の価値観を押し付けたくなるのだと思う。
親以外の愛し愛される誰かを見つけた彼女にはあって、自分のやりたいことに向かって走る私にないものは、一体何なのか。気づけばこんな考えに行き着いて、自分が嫌いになりそうだった。

また私たちが顔を合わせて、美味しい物で心と体を満たし、話の花を咲かせる日が来るのか、今はわからない。そして、大切な相手に芽生えてしまったどす黒い気持ちは、そう簡単には消せないとも思う。
それでも私は自分自身の味方でありたい。誰にも惑わされない揺るがないものを1つ持って、人生のど真ん中を歩いていきたい。そうすればいつかきっと、推しとの別れも親友への嫉妬も無駄ではなかったと思えるはずだ。

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この拙文を書く前に思い出したことがある。まだ高校生の頃、私が初めて札幌で行ったライブにNも一緒だった。
開演前の早めの夕ご飯は、とあるイタリアンだった。小ぢんまりとして落ち着いた店内の、温かいオレンジの灯りに照らされて、ピザを食べた。具の少ないシンプルなピザは、今まで食べたものと違って本物だと思った。
気さくなおかみさんは、壁のイタリアの地図を見ながら、「こんな可愛い娘さん達が行ったらイタリア男に捕まるわ」と言ってくれた。美輪明宏風の常連のマダムは「コンサート良いわね。楽しんでね」と微笑んでいた。

数年経って札幌に進学したNから、あの店はもうなくなったと聞かされた。私は人生で初めてのライブを思い出すたび、本物のピザも、長靴が描かれた地図も、おかみさんもマダムもどこに行ってしまったのだろうと考える。あの店について何も知らないのだから、考えても答えなんてもちろん出ない。

でも今、1つだけわかっていることがある。私とNにとって、「ライブ」と「美味しさ」は切っても離れない一心同体のようなもの、ということだ。
今度はいつ、誰のライブを共にするのだろう。
神戸のあの味と光景を思い浮かべながら、ぼんやり考えている。