夕日が差す放課後の教室で、私は加害者になった。

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大学進学を機に関東近郊から上京した。それまでの暮らしで、性別による差別を感じたことはない。社会の教科書には「女性の社会進出」の文字が並び、自分が将来渡り歩く社会というものに希望を覚えていたほど。

確かに、応援団長は男の子の役割だったし、運動部のマネージャーは女の子ばかりだ。しかし、そういうものとして受け止めていた。現に今世間を見渡したとして、そうでない学校はどれほどあるのだろう。とにかく私はそういう環境で育った。何も疑わずに。

「女の子なんだから」と言われたことはある。例えば、法事の席で。親戚が集まると、「ほら女の子たち、お茶を用意して」と声をかけられる。もともと自主性のある人間だ、周りを見渡して動くくらい言われなくてもできる。

私がこの「女の子なんだから」に反発しなかった理由はそれだけではない。集まった親族は圧倒的に女が多かった。指示をしたのは母親とその妹、場にいた男性はいとこの兄弟2人だけ。嫌なおじさんも、働かない男兄弟もいない。

だから、性別を理由に役割を押し付けるのが問題なのではないのだろう。性別を理由に、特別やりたいことを制限したり、特別やりたくないことを強制したりすることが問題なのだと思う。

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中学校3年生のある日、性別を理由に、やりたくないことを人に強制したことがあった。

学級委員長をしていた。足が速くて優しい、野球部の男の子と。任される仕事をチームワークよくこなしていたと思う。ある日の放課後、担任が私たちを教室に残した。外部講師を呼んで行う講演会で、どちらかがお礼の手紙を読んでほしいという。

普段ならどちらからともなくやるよと声を掛けるくらいの御用だ。しかし、講演会の題材は性教育だった。思春期真っ只中の私たちは、互いに顔を見合わせて「いやぁ…」と言葉を濁す。優しいので、お前がやれ、とは言わない。言えない。

ちょっと考えてみてと言い、担任は席を外す。2人きりの教室、校庭から聞こえる野球部のかけ声。私も彼も、早く部活に行きたい。夕日が眩しい、みたいな顔をして、時計と手元を交互に見比べる。どちらも口は開かない。

少しして戻ってきた担任は、押し付け合う私たちに苛立ったのだろう。「いいからやりな、男なんだから」と彼に声をかけた。シーソーは完全に傾いた。当時の担任は、若い女性だった。

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5年が経ち、彼と成人式で再会した。彼は何も覚えていないようだった。あの日起きたことも、講演会の手紙も、ひと月口を利いてくれなかったことも。

あれから10年以上が経っている。確かに時代は変わっただろう。しかし、時代を理由に正当化してはいけない、と心の奥で私が言う。これが男女逆の問題であったなら、非難しなかったとは思えないから。

優しい人に対して、性別を理由に、やりたくないことを強制した。「女性の権利」が叫ばれる時代、すっかり被害者面をしていたが、自分が加害者側に立つ可能性を忘れたくない。