私の好きなことは、歌うことと文章を書くこと。だから中学時代は合唱部で活動し、文芸部のなかった高校時代は一人で創作活動をしていた。その私が、高校のわずかな期間だけソフトボール部に入っていた。

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私の通っていた高校はスポーツの強豪校。トロフィーや盾が校舎にたくさん飾られている。女子ソフトボール部も、昔は全国で優勝するほど「強かった」らしい。しかし、私が入学したころには既に部員不足に陥っていた。

一年生の秋、初対面の先生に怪しいほどの笑顔で声をかけられた。

「スポーツ好き?」
「嫌いではないですけど……」

嫌いと言ってしまってもよかったかもしれない。話の内容はこうだった。二週間後にソフトボール部が新人戦に出場するけれど、人が足りない。手伝ってくれないか。

帰って家族に相談した。家族は私にスポーツの適性がないのを知っていた。

「誰でもいいから頼まれたはずだし、いいんじゃない?」

期待されないことが、身軽であり悔しくもあった。

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初日の打撃練習は、ピッチャーの先輩のボールが怖くてバットを振るどころの話ではなかった。私は守備練習が好きだった。私が担当したライトは初心者が任されがちなポジションらしいが、フライの距離感を掴むのが難しく、捕れる方が珍しかった。

それでもなぜかフライは怖くなかった。未経験だからソフトボールの痛みも知らず、お手伝いという立場からのびのびとやっていた。合唱で培った声量で、返事だけはよく褒められていた。

練習後、顧問の先生は私たちを集めて言った。

「よその子じゃなくてファミリーだから」

自分なりのあたふたしたプレーを認めてくれる場所なんだろうな。私のスマホのメモには、こんな日記が残っている。

・練習後と帰るとき、グラウンドに挨拶する(挨拶のタイミングがわからなさすぎて全部先輩のまね)
・きつめの練習で先生の「ラスト」が数回ある (誰かが遅れると、ラストが延びたり)

体育会系だなと思うけど、私にはそれも楽しい未知の世界だった。

新人戦の相手は、部員不足とは無縁であろう強豪だった。もちろんピッチャーのボールも先輩より速いし、バットを盾のように使っていたかもしれない。でも、スイングできたことが嬉しかった。負けたときも、チームメイトはみんな仕方ないという雰囲気だった。

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数か月が経って、卒業の近づいた先輩になぜ私をソフトボール部のお手伝いに任命したのか尋ねてみた。

「体育の授業でソフトボールしたときに、全然ボールを怖がってなかったからだよ」

練習中にはボールが唇に当たることもあった私だけれど、痛みを知らないから強かった部分もあると思う。現在、ソフトボール部は全員が卒業し、未知の世界を楽しんでいたグラウンドは学生寮の敷地になっている。

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高校を卒業してからも、「人が足りてなくて、手伝ってもらえない?」と言われるとわくわくする体になっている。私じゃなくてもいいとしても、頭数だとしても必要とされたい。初心者でもできるポジションを、人が増えるだけで嬉しいようなチームでできるなら、私はまたスポーツをしたいと思う。