なんというか、カオスな学校だったな、と思い返す。
6年間通っていた小学校の話である。

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私の地元は、東京の中でもディープ下町と有名である。特に私が通っていた小学校は、保護者の元ヤン率・ヤンママ率が異常に高かった。それに、比例して子どもたち、特に男子児童のやんちゃさが強く、「〇〇小学校はヤンキーの集まり」と地域でも悪名高い存在であった。そんな男子たちは皆小学生なのに茶髪に染められ、みな例外なく襟足が長かった。

どんな風にやんちゃであったかを思い出すと、エピソードは尽きない。低学年の頃は、プールの授業で、男女の別がなく全員ランチルームで着替えていた。

すると、アレをもろ出しした男子たちが、素っ裸でランチルームをはしゃいで走り回っているのだ。しかも1人や2人ではない。もろ出しアレの大群である。唖然とした女子たちの苦情を受け、女子の保護者から苦情が殺到したのは言うまででもない。混沌である。

高学年になってもカオスは続く。半ケツを出した男子が、嫌がらせで女子のランドセルに半ケツやアレをこすりつけてきゃあきゃあ言わせて反応を楽しんだり、授業中消しゴムを細かく刻んで投げまくったり、彫刻刀で机に穴をあけたり、給食にフルーツポンチが出ると口の中でそれを細かく刻んでは、口から吹いて飛ばして遊んだり。授業は当然崩壊していた。

現在レジリエンスに定評のある私のバックボーンには、そんなカオスな環境で、男子たちに果敢にキレ返しやり返していたことで鍛えられたことがある。

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男尊女卑が強い環境であった。男子には2種類の生き方しかなかった。スポーツが得意でやんちゃで腕白な男子になるか、勉強に励みもの静かな男子になるか。女子には3種類の生き方しかなかった。可愛く愛でられる女子になるか、存在感を消していないものとして生きる女子になるか、それとも男子に対抗して「男勝り」な女子になるか。私は後者を選んだ。

最終学年の6年生の頃、たてわり班の班長となった。私の代だけでなく、全学年ヤンキー度が高かったため、1年生にも茶髪で襟足の長い、いかにもヤンキー育ちの男子がいた。問題児に6年間揉まれて生きてきたため、扱いを心得ていた私は、そのヤンキー1年生と割とウマが合った。と言っても、廊下ですれ違う時に「おいババア」と声をかけられ、「だまれクソガキ」と返すような程度のものであったけれど。

しかし事件が起きる。たてわり班では、年に数回ランチ会がある。給食の配膳を終え、さあ食べようとなったとき、そのヤンキー1年生が、なぜか癇癪を起して、泣きわめき始めたのだ。問題は、彼の両手にハサミが握られていたのだ。当然、危険な状態である。

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班長として何とか事態を沈めなければと思った私は、彼に近づいた。男子とは言え、まだ1年生。私は小柄な女子とは言え、6年生。体格は当然私に利がある。腕をひねって、はさみを取り上げることは、想像以上に簡単なことであった。そして、今思えばかっこつけすぎた一言を、私は放った。

「おい、キレるのは勝手だけどな、刃物使うのは卑怯だろ。男なら腕でやれ」

ヤンキー1年生は、はさみを取り上げられびっくりした表情で、私を見ている。目にはまだ涙があったが、それよりも驚きの色が強い。そして彼はこう返してきた。「お前、女のくせになかなかやるな」と。

その一言を聞いて、私はすぐに次の3つのことを察した。きっと彼の家も、この小学校全体を覆う「男は強く、女は弱い」という方程式が強いのだろうと。そして、そんな弱い女に、キレた自分が丸め込まれるのとは思ってもみたことがなかったのだろうと。そしてそんな事情をすぐに察せれるほど、この6年間で私も「男は強く、女は弱い」という方程式をいつの間にか内面化したいたのだと。

だから私は続けてこう返した。
「ばーか、女の『くせに』なかなかやるんじゃなくて、女『だから』なかなかやるんだよ」
ヤンキー1年生は「そんなもん?」という表情をした。20年後の私は言う、そんなもんだよ、と。

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今回このエピソードを書くのは、非常に恥ずかしいことである。なぜなら、人生で最も私がかっこつけ、かましたエピソードだからである。武勇伝と言えばそうなのだろうが、「男なら腕でやれ」はかっこつけすぎだし、何より私の隠れた差別意識が如実に表れているのだ。

可愛くなくて、でも存在を消すのは嫌だった私が、あの環境で生き残るには「男『勝り』」になるしか道はなかった。でも、本当は気の強く自己主張のできる女性のことを「男」に「勝る」という表現をするのは、今も昔も好きではない。

私は女として生きているが、男に勝ちたいわけでも、負けたいわけでもないからだ。「共に」生きたいのである。

あのはさみかっこつけ事件から18年。「くせに」じゃなくて「だから」の方が、君の人生の可能性も広がると思うよ、と襟足の長かった彼を、最近よく思い出す。