「老人ホームのおじいちゃんおばあちゃんに年賀状を書きましょう!」
先生に言われるがままに、授業で年賀状を書いた。宛名は書かない。真っ白のハガキに新年の挨拶と一緒に好きな絵を書く。それをまとめて近所の施設に持っていくんだそう。
小学校一年生。初めての冬休み前の国語の時間だった。
その頃はスマホなんて普及していないからまだまだハガキの年賀状が主役の時代。実際、私の祖父母には輪ゴムでまとめられた大量の年賀状が毎年届いていた。お年寄りになるとお付き合いしていく人が増えるから自然と年始の挨拶の枚数は多くなるんだろう。ちょっと羨ましかった。
その認識があったから、わざわざ小学生が知らないご老人に年賀状を書く意味がわからなかった。私なんかが書かなくてもたくさん受け取っているだろうに。
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年が明け、数週間ほどたったある日。お返事のハガキが先生からみんなに手渡された。私が受け取ったハガキには「羽子板の可愛い絵をありがとう。小さい頃に家族で遊んだのを思い出しました。しっかりお勉強も遊びもがんばってね。楽しい毎日を送ってくださいね。身寄りのないおばあちゃんより」そう書かれていた。
ランダムにお年寄りからの返信を配っていたかというとそうではなかった。きちんと送る人と受け取る人がマッチングするように先生が管理していたのだろう。私は初めて知らない人と文通をした。
絵が不得意な私。お正月の絵なんて書けなくて、唯一書けたのが羽子板と羽の絵だった。四角と丸を書くだけなのに全然うまく書けなくて満足がいかなくて放課後まで粘ってハガキ一枚を完成させたことを覚えている。だから見知らぬおばあちゃんから「羽子板」と認識してもらえたことがわかるとなんだか嬉しかった。
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社会人になると友人と呼べる人が少なくなった。友人と年賀状の送り合いなんてしなくて気づけば家族から「あけおめ」スタンプがLINEで届くくらい。
そんな私のところにハガキの年賀状が届いた。小学生のいとこからだった。なんだか嬉しかった。一枚きりでお化けみたいなヒョロヒョロの字で「あけましておめでとうございます」しか書かれていなかったけど温かみとか尊さを感じた。
なんだか捨てられない。しまっておこうとちょうどいい入れ物を探していたら年賀状を保管しているファイルを見つけた。百均のミニアルバムみたいなもの。
今ではもう誰とも年賀状の送り合いはしていないが、こんな私でも大人の真似事をしたくて中学までは友人と送りあっていた。とはいえ、年賀状は溜まるととても邪魔だ。ただの紙。だから年の瀬に宛名と住所の確認が終わると年初に届いた年賀状は全て廃棄する。そしてまた新しい年賀状がファイリングされていく。
その更新はある時で止まっていた。
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一番古い年は二〇一三年の物だった。高校に入るとメールで新年の挨拶をするのが主流になったことと、ちょうど喪中が重なったことをきっかけに次の年からお正月にワクワクしながらポストを見ることはなくなった。
ファイリングされている中でも一際古い年賀状があった。宛名も住所もない。けど紙が少し黄ばんでいて古いのはわかる。そして私の友人が書きそうもない達筆な筆文字で干支のファンシーなイラストなんて載ってないハガキだった。
そう。あの時のおばあちゃんからの年賀状だった。なぜか私はそれを捨てずにずっと持っていた。
大量に刷られたゴシック体の文字じゃない年賀状ってなんでこんなにもあったかいんだろう。これを受け取ったのは二十年前。なのに「楽しい毎日を送ってくださいね」の文字に視界が歪んだ。
「あけましておめでとうございます」
あのおばあちゃんにはもう年賀状は書けないけど、温かい新年の挨拶の記憶は私の中で生きている。今日も楽しいです。私より。