「モラトリアム」という言葉の意味を知っているだろうか。
案外聞いたことはある、という人も多いのではないか。

「猶予期間」を意味する言葉で、心理学的には子どもから大人へ移行していく間のことを表している。

わたしの認識では、大学生あたりのことを「モラトリアム」と呼ぶ。
義務教育期間を終えてもなお、学びを継続しながら、今後の自分の生き方を”働く”ことに結び付けて悩み、考えることが許されている、むしろ、そうであるべきとされるからだ。

その認識が今、覆りつつある。

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「女子大生の日」企画のエッセイテーマに合わせて自分の人生を振り返り、自分のキャリアについてことばを綴ってきた。
何度も書いたことだが、わたしは今の仕事を中学生の時から目指すようになった。

そして働き始めて数年、わたしがやりたかったことやなりたかったものはこれじゃないのかもしれない、と気づいてしまったのだった。

この数年間の社会人生活を経て得たものは、自分の浅はかさ、至らなさ、不甲斐なさ、出来の悪さであった。

どこで間違えたのだろう。

齢2ケタになりたての頃からこの仕事をすると断定してしまったことだろうか。
だからこそ「モラトリアム期間」に在りながら迷うことがなかったのだろう。
しかし、あの時この職業を勧められていなければ、わたしはいつまでもやりたいこともなりたいものも見つけられずに、永遠とモラトリアムの中だっただろう。あるいは、人でなしの人生に転落していた可能性だって大いにあり得ただろう。

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この職業になるためにはいくつかの分岐があるのだが、その選択ミスだろうか。
就活に目を背けて、みんなから何歩も遅れたスタートだったせいか。だから危うく就職浪人するところだったのである。

よく考えもせず、就職浪人しなくて済むじゃん!ラッキーと飛び込んだからか。確かに就職浪人する危機は免れたが。
だが、高等教育期間における多大なる量の借金を抱えて生きていかなければならないことが確定していた以上、さらなる借金を抱えて進学することはできなかったはずった

就職浪人もできれば避けたかった。就職浪人自体が悪だと思っていわけではない。就職活動をしながらアルバイトなどで生活を繋ぎ、一人暮らしを継続できるほど器用ではない。

必然的に実家に戻ることになっていただろう。親に就職浪人したことへの小言を言われたり、就職活動の過程や結果逐一干渉されたりしながら生きなければならいのなら死んだ方がマシだった。

真っすぐ目指し続けた先で、追加の借金も就職浪人も避け、なりたかった職業になったはずなのに、結局まだモラトリアムの渦中である。

否、モラトリアムにちょうど突入した頃と言っても過言ではないかもしれない。
わたしにできることの方が少ない日々で自分の情けなさと向き合い続けなければならなかった。

今こそが「モラトリアム」そのものであった。

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やりたいことや始めたいことはたくさんある。
だが、それで生活していきたいと思うほどのことはなかった。
この仕事を辞めてまでなりたい何者も、やりたい何事も、特別ない。

だからあの時、わたしが目指すべき道が示されなかったとしても、この世界にたどり着いていたような気はしている。

それならばわたしは、この世界でやりきる努力をしなければならないのだろう。

秀でた才能もない、光るセンスもない、なんの取り柄もないわたしが、この仕事で成果を出すには、学び続けるしかない。
読んで、見て、書いて、考え続けるしかない。

この学びの先で、モラトリアムが開けると信じて。