幼い頃、一人でお風呂に入るのが苦手で、一人暮らしは絶対にしないと母に誓った私。目を瞑ってシャンプーを流していると、後ろに人の気配がある気がして怖かった。一度怖くなってしまうと中々抜け出せなくなり、そんな時はいつも決まってお風呂のドアを少し開けた。
ドアを開けると母が食器を洗っている「日常の音」が聞こえてきて、人の気配はいなくなるのだ。

大学進学で始めた一人暮らし。少し手狭な部屋は落ち着く空間

それでも一人暮らしをするタイミングはやってきた。大学に合格し、上京することになったのだ。最初は寮に入るか、食事付きの学生マンションにでも住もうと思っていたが、補欠合格でなんとか滑り込んだ私には、そんな良い条件の家はもう残っていなかった。
かろうじて見つけたのは、6畳ワンルームの女性専用マンション。日中だけ、パートのおばさんが管理人として在中している。
洗濯機は共用。3点ユニットバス。6畳といっても、備え付けのバカでかい収納家具のせいで居住スペースは5畳ほどだったと思う。

決して素敵なマイルームとは言えなかったけれど、少し手狭なその部屋は、実家の自分の部屋と似たような広さで、不思議と落ち着いた。
一人暮らしを始めた当初、私は暮らしを整えることに必死だった。布団にテーブル、掃除機やら電子レンジやら、何から何まで買わなければならないのが大変だった(安物で揃えたと言えどお金は全て送ってもらっていたから、今考えれば両親も大変だっただろう)。

何もない一人暮らしの部屋で、あれもこれも必要だと気づいた

実家にいた頃は特に何も必要ないと思っていたが、何もない部屋にいて初めて、あれもこれも必要だと気づく。その最たる例が、体温計だ。身の回りのものが一通り揃った頃に疲れが出たのか、私は急に熱を出した。

体温を測ろうと思ったら体温計がない。熱が出てからではもう遅い。仕方がないからその日はとにかく寝まくって一日を終えた。あー本当に、必要になってから全部気づくものだとつくづく思った。
幸い翌日には何事もなかったかのように回復し、早速ドラッグストアに行って、体温計と常備薬を揃えた。

そんなこんなしている間に大学が始まり、慌ただしく毎日が過ぎていった。初めての単位制授業に、出会ったばかりの人たちと協力して挑む。大学って、こんなに野放しな所なのか、というのがその頃の感想。自分で必要な情報を得に行かないと、うっかり留年してしまいそうな環境である。

架空の不安に怯えていた幼かった私を、母の記憶と共に思い出す

高校までは、用意された一日をそれなりに過ごしていれば自然と学年も上がっていたし、卒業もできたのに。友人になったばかりの人たちと、クタクタになりながら一日を終える。家に着くと、料理とも言えないような料理をして、ご飯を食べて、シャワーを浴びるので精一杯だった。
そういえば、あんなに一人暮らしはしたくないと思っていたのに、やってみると案外できるものだと思った。シャンプーを流す時に現れた架空の人の気配も、今はもういない。幼い時に感じていた架空の不安は、安心の中にこそ現れる不安だったのかもしれない。体調が悪くなったり、単位を落としたり、実際に起こり得ることへの不安が勝ると、架空の不安は姿を消すのだった。
それが幸せなのか不幸なのかは誰にも分からないが、架空の不安に怯えていた私を、大学生の私は懐かしく思い出す。昔も今も変わらない、温かい母の記憶と共に。