大学に入る前、私の学びの先には異国での生活や文化を経験する自分の姿がありました。私が大学で専攻したのは、ドイツ文学。毎日ドイツ語の授業を受けながら、私はドイツに行くことを夢みていたのです。夢というより、留学や卒業旅行でドイツに行くことを信じきっていたほどでした。
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ところが、大学3年になる2020年の春。私を待っていたのは、ドイツどころか、自分の大学にすら行けない日々でした。新型コロナウイルスの流行という、予期せぬ事態が目の前に立ちはだかったのです。
大学2年の時に留学に行った人たちも、次々に帰国してきました。そのタイミングで大学を休学した人もいました。
何のために学ぶのか、学んだ先に何があるのか、リモートでの授業に意味があるのか……。何もかもが、分からなくなりました。結局、その答えは出ないまま、大学3年、4年と、ほとんど大学に行くことすらなく、私は大学を卒業しました。
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私の就職先は、ドイツ語なんて1ミリたりとも使わない会社でした。いよいよ、私の4年間が何だったのか、私には分からなくなりました。英語であれば役に立つ仕事だったので、せめて英語を学んでいればよかったのではないかとうっすらと後悔したほどです。
でも実際には、英語や英米文学を専攻した友人たちも、必ずしも英語を使う職にはついていませんでした。私たちは、未来に繋がらないことを4年もかけて学んでいたのではないか、と私は思い始めました。
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就職して、2年近くが経った頃です。
ある朝の新聞で、ドイツ旅行の広告が目に入りました。学生時代、ドイツに行きたいと願っていたことを、ふいに思い出しました。新型コロナウイルス流行の時代には、夢みることもできなかった、海外への渡航。でも、あの時と情勢は変わりました。行こうと思えば行けるのです。
幸い、お金はあります。諸々を調べる時間はなかったので、ほとんど勢いでツアーに申し込みました。でも、申し込んだ後も、お金を払った後も、なかなかドイツに行く実感はわきませんでした。
ドイツの空港に着き、市街をバスで走るうちに、やっと深い実感がわいてきました。目の前を流れていくのは、教科書で見た景色や、看板に書かれたドイツ語。お店に入れば、ドイツ語でやり取りすることもありました。
「ずっとここにあったんだ……」
学びの先に何もなくなったと思っていたその瞬間も、ずっと、ドイツはここにあった。そんな当たり前の事実が、心にしみ込んできました。
そう、ドイツは、ドイツ語を使う国は、ずっとここにあったのです。ドイツ語を学ぶ意味なんてあるのかと私が疑っていたその時も、ドイツ語を使う人たちは、休みなくドイツ語を使い、ドイツはそこに存在し続けていたのです。
ドイツ語であふれるドイツの街を歩きながら、自分の視野の狭さをまざまざと見せつけられたような気がしました。
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大学で勉強していた頃は、ドイツ語を学ぶことは、ドイツ語で書かれた本を読むための腕を磨くようなものだと思っていました。現地に行けない以上、本の中以外では役に立たないと思っていたのです。ドイツ語を使う職にも就けなかった自分には、無駄なスキルを手に入れてしまったとも。
でも、世界の状況は数年ですっかり変わるのです。そのことを、私は本当には理解していませんでした。自分の学びを軽んじていたとも思いました。留学に行かなければ、仕事にしなければ学びが役に立たないなんて、自分の視野の狭さから生まれた考えだと気がついたのです。
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そもそも、学びが役に立つかどうかは、「その時」が来るまで、分かりません。私がドイツ旅行に行かない限りは、ドイツ語を使う機会は確かになかったでしょう。でも、だからといって、学びに意味がなかったと結論づけるには早いのです。
もしかすると、今すぐには使えない知識かもしれません。数年間は、本当に使う機会のない言語かもしれません。でも、どんな学びにも確かに意味があるのだと、どんな学びも、いつか自分の視野を広げてくれるのだと、今の私は自信をもって言うことができます。