仕事の本質は愛である。
というのは、25歳の誕生日の頃に読んだ長沢節の『大人の女が美しい』にあった言葉だった。
愛なんていうのは気恥ずかしいが、読んでから3年近くたち、地元で再スタートを切っているいま、改めて思い出した。

今日、わたしは京都にいる。京都に住んだことは一度もない。
観光メインではなく、文化芸術のために来た。

1年前のちょうど同じ日にも、京都に来た。
人に誘われて始めたNPOの仕事を2ヶ月で辞めてしまって路頭に迷っていた頃、以前働いていた本屋さんの京都店が出来るということで、どうせなら京都に住んでしまおうか!と、半ばヤケになって説明会に行ったのだ。結局実務的な問題が重なって住めないと分かり、面接を辞退したのだが。

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わたしは現在社会人5年目である。最初の就活に失敗して、NPOの仕事に就いた頃にはすでに4社目だった。

1社目から派遣会社の正社員という微妙な立場で信託銀行のバックオフィスで働いた。本屋さんは2社目のアルバイトで、3社目は文化施設での文化事業企画の仕事だった。その年の秋ごろに勤務していた劇場の大ホールが水浸しになるという、全国ニュースになるほどの大きな事故があり、人員削減のためにわたしは1年目にして異動になるかもしれなかった。だが突然のことだったため、ギリギリまで何も知らされていなかった。
わたしはこの仕事が気に入り始めていた。会社や業界の制度や人間関係は最悪だったが、仕事そのものの社会的意義にやりがいを感じていた。

そんななか、隣町の同業他社の人をはじめ、何人かにNPOの仕事に誘われた。ご覧のように、社会人になって1年以上仕事が続いたことがなく、誰からも必要とされていなく、また、事故のせいでまた生活環境変わるのか……と憂鬱になっていたわたしは、この誘いに嬉しくなって有頂天になっていた。
それにわたしは、その誘ってくれた人々が、自分はコミュニティや仕事の中ではサポート役だと言い切ることを羨ましく思っていた。主役より名脇役の方が大変だと思うのに、言い切るなんてよっぽど自分に自信があるのだなと思った。

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そして仕事した結果、的外れなチャレンジだったと今となっては思う。もちろんNPOもいちおうの面接はあり、志望動機は自分なりに頑張って考えたけれども、頑張って考えなければ浮かばなかったのだ、と思うと残念な気持ちになる。本当の心の底では、文化事業に携わりたかったのに。無駄な努力。

だがそれ以上に、こうも思う。
若い人応援とは言っても、早いうちから自ら問題意識を持って行動して仕事をしている人なら、まだ応援する意味があると思う。サポート役としてその人の理念のようなものを理解して尊重出来るだろうから。

だが、わたしのように当時、事故後の混乱で果たしてこれからどうなるのやら?という中で、よく話しもせずに、まったくわたしの適性に反した仕事誘ってくるのは、「応援」という一見親切な動に見えて、ただの自己満足ではないか。人のこと解ろうともしないで、可哀想な”若い人”応援と一括りにしてしまうのは。
また、町ですれ違った知り合いも、腫れ物扱いでもするかのように避けられたり、哀れまれたりした。
わたしは可哀想なのではなく、誘って来た人々が仕事を辞めた後、連絡をまったくよこしてこないことに怒りがあった。無責任ではないかと思い、何も分かってもらえないと諦めた。

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昨年京都に行ったあと、わたしは1人で旅を続けたり、本を読んだり、ダンスを観たり、同世代の友だちと飲みに行ったり、一度は働いてみたかったホテルで働いたりして、これかもしれないという働き方や仕事内容を、誰に言われることなく自分でみつけた。そして現在、いろいろ改革中。

相変わらず今年も1人で京都にいるが、去年とは明らかに3ミリ違う、目的を、ikigaiを持った新しいわたしがいる。

わたしは、仕事を、そして仕事を愛する自分を好きになれるように、ていねいに毎日を過ごしたい