年明けからナレーションや朗読のワークショップに参加するようになりました。
新卒で働き始めて6年、貯金がそれなりにたまってきたことと、会社での仕事に手ごたえを感じなくなったことから転職を考えていました。
最近は「才能の見つけ方」や「天職の見つけ方」みたいなタイトルの本が流行っているみたいで、今の会社を辞めた後のことを考えていた私はその手のタイトルの本を手当たり次第に読んでいました。その中に「小さい頃は得意だったこと」を書きだすワークがあり、そこで思い出したのが音読でした。
小学生の頃、クラスの音読大会で優勝したこと。
中学生の頃、国語の授業中に教科書を読んだら「聞き取りやすい」と褒められたこと。
音読を仕事にできないか、食べていけなくても副業くらいにはできるのではないか、と淡い期待を抱いて朗読やナレーションのワークショップを探し始めたのです。
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最初は1日体験授業のようなものにいくつか参加していました。その中で通おうかな、と思っていた養成所がいざ申し込もうとしたら定員オーバーで申し込めず。次の開講は3ヶ月後。
せっかくやりたい気持ちになっているのにそれまで何もしないなんて、と慌てて他の講座やワークショップを探しました。そこで朗読講座を見つけたのです。
講座はオンラインで行われており、毎週出される課題を朗読しそれを動画で撮影、提出したものを講師が確認し講評を頂く、という形のものでした。
初心者向けの講座のため最初は基礎的な練習方法を教えてもらい、提出する課題も教えていただいた基礎練をそのままやってみるものでした。
最初の講評は上々。滑舌がいい、テンポがいい、と仕事ではあり得ないくらい褒められて「自分には才能があるのでは」とウキウキでした。
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しかし、基礎練が終わり青空文庫を読んでみる、というところで壁にぶつかることになったのです。
基礎練は滑舌や誤読をしなければ及第点だったのに、青空文庫のような文学作品を読むようになると、文章の意味やそれに合わせた表現をすることまで求められるようになりました。
先生から頂く講評も散々なもので「感情がこもっているところとそうでないところがはっきりわかってしまう、原稿を読み込んで」と基礎的であろうアドバイスを頂くことが多くなりました。
毎週原稿を読み込み、どんな風に読もうか考えてみてもいざ読み始めると噛むわ、読み間違えるわ、で何度も撮り直し。結局最後は噛まない読み間違えないことに意識を持っていかれてしまい、ほぼ棒読みに。
今回は少し表現に気を付けて読めたかな、と思って提出しても講評は変わらず「原稿を読み込んで、心で読むこと」。
結局講座の最後の方は夏風邪を理由に欠席してしまいました。
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そんな時、転職活動の参考に、と読んだのがアドラー心理学に関する本でした。
「人はやらない理由を探す。それは失敗してかけがえのない自分が傷つくことを恐れるため」そんなメッセージを様々なたとえ話を用いて書いてある本を読んでいるうちに、自分は夏風邪をひいていなかったら講座を最後まで受講したのだろうか、と疑問に思い始めました。
きっと夏風邪をひかなくても講座の最後の方は欠席していたかもしれない、それはまさしく失敗してかけがえのない自分が傷つくのを恐れたから。つまり逃げたのだと気づきました。それに気づいたとき、もう一度挑戦したいと思うようになったのです。
養成所に申し込みそびれて早3ヵ月。今度は無事に申し込めた養成所でもう一度挑戦してみます。