人生で選択する機会は数多くあるけれど、私はそのなかでも今回は「文理選択」について話したい。
おそらく多くの人が高校生のときに、文系と理系のどちらかを選びなさいと言われたことがあるだろう。国公立は科目数が多いので、文系理系と分けることにあまり意味はないかもしれないが、文理選択をしていたように思う。
このエッセイを読んでくれているあなたは文系と理系のどちらを選択したのだろうか。

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私はというと、国語も苦手で数学も壊滅的にできない高校生だった。2教科とも偏差値は40もないくらいで、担任の先生からは「君は文系にしても理系にしても微妙…」と言われてしまった。

しかし、一方で日本史・世界史・地学基礎・化学基礎は学年で1桁に入る程度にはできる。英語も得意とは言えないものの、そこそこできた。英検にも合格していたので、英語試験を免除にすることができた。
あとは私の国語と数学の成績が伸びてくれれば一安心…だったが、実際は2教科とも模試と定期試験の点数が壊滅的なので担任の先生は私の進路に頭を抱えていた。

私は別に文理選択を重く受け止めるタイプでもなかったので、苦手な国語と数学どちらを選ぶのか?と言われても正直「どちらでもいい」と思っていた。

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私の兄はバリバリの理系で、数学・物理・化学も良くできた。おまけに文系科目の国語も社会もそこそこできた。そのなかでも兄は本当に数学と物理が得意で、私が理解できない数式を書いては実験を繰り返すような日々を送っていた。
私の頭の中には“理系=兄”という式が成り立っており、それは“理系を選ぶこと=兄と同等くらいできないといけない”ことも同時に意味していた。もし私が理系を選択したとしても、兄のようにこれから先数式を使って研究をするというイメージは持てなかった。私はきっと兄のようになれない。でも数学をスラスラ解く兄の姿を見ると、「私もそうなりたい」という思いに駆られた。

数式でこの世界を描くとしたらどうなるだろう?
速度とか摩擦とか…そういったものを意識しながら生活しても楽しいかもしれない。身近な数字にこんな意味があったのか!と、新たな発見があるかもしれない。サマーウォーズの映画じゃないけれど、数字を解くことで自分の中にある新たな扉を開けることができるかもしれない。
そう思ったこともあったけれど、私は最終的に文系を選んだ。

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文系を選んだ理由は単純だ。
国語よりも数学のほうが問題を解くことができなかった。私は数字との相性が悪い。数学の問題文が理解できないこともしばしばあった。でも、国語は日本語しか使わない。だからどうにかなるだろう!とその時の私は考えていた。また、担任の先生が文系を勧めてきたことも理由の一つだ。「国語のほうが多分できるようになるよ」という先生の言葉に私は乗っかった。

結果的には国語の偏差値は65以上になり、“解ける”ようにはなった。でもどこかおかしいのだ。“解ける”ようになったはずなのに、“解けている気がしない”のだ。国語ができているという実感は全くない。文章を読めているのかも分からない。ただ点数は上がっている。いくら点数が上がっても、文章力が自分のものにならない。そんな状態に陥ってしまった。

そうしてちゃらんぽらんなまま文系を進んできた私は大学でも少し痛い目を見ることになる。

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私のレポートは文章がおかしいし、そもそも日本語らしくないのだ。そもそも論理的じゃない。素人が書いた作文みたいな感じだった。論文は読むけれど、ちゃんと“読めているのか”が分からない。文章も書くけれど、ちゃんと“書けているのか”が分からない。
変な言葉、変な日本語で今までやってきてしまったツケが今ここで出てきている。

あのとき、文系ではなく理系を選んでいたらどうだっただろうか。兄のようにはできないけれど、自分で新たな扉を見つけて数学や化学などを楽しむことができていたのではないか。
自身の文理選択を振り返るなかで、ふと化学基礎を担当していた先生が期末テストに書いてくれたコメントを思い出した。

「98点 理系に欲しい人材だった!!!」

私がもしも理系に行ったらどんな人になってた?どんな人材になっていた?

あのとき私が理系を選んでいたら、一体どうなっていたのだろうか。