「かわいい」って正解がない。

例えば、自分は清楚系でクールな、いかにも外資系企業にいそうな黒髪ストレートの、気骨品のある、女性らしいスタイルが好きだ。そんな育ちの良さそうなスタイルが好みなので、メイクもヘアーもファッションも持ち物も、お金をかけて清楚系クールで一式統一したが、なんだか中身と釣り合わない感じがする。

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たしかに、自分は幼稚園から女子校育ちで、「品がある」といわれる。でも、これまでのファッションだと、どこか知的で、おとなしい、クールで仕事ができる大人な印象を与えてしまう。
内実、私は、いつもご機嫌で、おっちょこちょいで、気持ちがすぐ表情にでて、いつもニコニコ笑顔を振りまいている、そんな明るくて天然で、ドジでまっすぐな人間味ある人間だ。

だから、自分の好みのファッションをすると、周りに本当のキャラとは違う印象を与えてしまう。周りからは、なぜか、外見から受け取れるイメージだけが自動的に膨れあがって、本当は童心たっぷりの自分を出せなくなってしまう…
カッコつけたい、清楚でいたい自分と、子どものようにケラケラ笑っていたい本当の自分。社会人になって、ビジネスをする上で、どちらをとるか余計に考えるようになった。

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小説でもなんでも、働く女性は、よく二項対立にされがちだ。
片方は、仕事もバリバリできて、稼ぎも良くて、頭の回転も早くて、スタイルも良くて、仕事に邁進してなんでも1人でできてしまう、会社でどんどん昇進していくような完全無欠な憧れの女性。聡明でとにかく仕事ができて、自分で十分すぎるほど稼いで管理職へ。

もう一方は、体型や仕事ぶりは普通。でも愛嬌があり社内からもクライアントからもなんだかんだ可愛がられていて、困った時はすぐ周りから助けてもらえる。仕事で失敗をしても、「しょうがないなぁ」と誰かから自然に手を差し伸べられる、そんな、わきあいあいと、いつも集団の輪の中にいる朗らかな女性。会社内での業績は普通だが、プライベートでの結婚は早い女性。

私は、長年、前者に憧れて社会人をしていた。自分よりはるかに仕事ができて、要領が良くて、しかも自分より細身で肌も綺麗で、もちろん給与も高くて、群を抜いて昇進して…
そんな女性の同僚を見ると、内心悔しく、心の中で嫉妬していた。

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ところが、私が退職して、そんな勝手にライバル視していた女性の元同僚と話したり、『永遠の途中』という小説を読んだ時に初めて、”向こう側”の心理を知った。

「愛嬌があって素直で羨ましい」「本当にいい子で、優しいよね」

退職してから、初めてそんな風にいわれた。
私はたいして仕事の出来る人間ではなかったので、あまり価値がないと思っていたが、そんな側面で見られていたとは……。

それ以降、”女性らしさ”や”自分らしさ”というのを30歳手前になって、考えるようになった。
自分のありたい姿とか、周りからの評判というより、意外と、愛嬌のある、ケラケラと笑っている、素の自分でいたら、いいんじゃないか——。
ファッションも、そんな風に考えるようになった。