高校生にもなって泣いてんじゃないよ。
そう自分に言い聞かせながら迎えた高校の入学式が、すごく懐かしい。全く初めて会う人と同じ教室で授業を受けて成長していく。どんな物語にも必ず「出逢い」の場面があるからこそ、面白いし、その第一歩がスローモーションに感じられる。そんな初対面の思い出は、人生の今を大きく形作っていくのだと私は思う。

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初対面でどれだけ自分を引き出せるかを考えさせられた入学式。昔から私は話しかけないでほしいという雰囲気があるように周囲からは思われているけれど、ただ緊張しているだけだった。誰かが話しかけてくれるまで待とう。そんな受け身の姿勢が、私を人見知りにさせていたのかもしれない。

ここ数年のコロナ禍では対面ではなくZOOMなどのWEB会議アプリを使って、オンライン上で人と会うことが増えた。自宅でパソコンの画面上で会って話す。生身の人間がパソコンの向こうにはいるはずなのに、なぜか緊張しない。それも初対面だけど、自宅という同じ空間にいるみたいで、まったく違和感がない。そんな「オンラインで人と会う」というコロナ禍で経験した画期的なツールが、人見知りする性格を忘れさせてくれた。オンライン授業で時間を気にせず講義を続ける先生がいて昼休憩がどんどん削られていくとき、私は画面をオフにしてミュートする。それから、「お腹すいたー」といってお菓子をつまむこともある。もしコロナが流行していない世界に舞い戻ったとして、対面がごく当たり前だったら、こんなことを簡単にやってのける自分を羨ましく思うかもしれない。

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人見知りと奮闘していたコロナ前と比べて、オンラインという選択肢が増えた今、私は生きやすさを感じやすくなった。もちろん対面だと生身の人間を感じることができて、誰かと同じ空間で生きている瞬間を意識する。お互いにだんだんと打ち解けていくと、初対面のときは全然話さなかったよねと談笑することもできる。そうやって信頼関係を築き上げていくのが、本当に必要なことだと思う。

しかしコロナ禍が始まってから人との距離感も、よくわからなくなってきている。オンラインで参加することや、ディスカッションできることは人見知りと奮闘しなくて済むから、本当にありがたい。その反面、生身の人間同士が直接話し合うことが減ってしまった分、初対面の人と時間をかけて信頼関係を築く機会が失われてしまった。それも半年や一年ではなく二年も三年もオンラインが定着してしまった今、無理して人見知りと奮闘しなくてもよくなったのかと思うと、ちょっぴり寂しいものだ。

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私自身が高校生の頃は対面という選択肢しかなかったから、今のようにZOOMを使って人と会って話すこともできるという考えがなかった。オンラインで授業をするなんて違和感しかなかったし、教室で集まって話すことが日常だった。入学して二週間後くらいに新入生合宿があって、そこから一か月がたつと人見知りしていた自分が懐かしいくらい、打ち解けていった。私立高校のフロンティアコースという部活と勉強の両立を目指すクラスに、私は所属していた。大阪や神戸、広島など県外から入学してきている生徒も多くいた。

神戸から入学してきてバレー部に所属しながら寮生活を送る女の子は、入学式の日から初対面のみんなとコミュニケーションをとるのが素晴らしいほど、上手だった。心から見習いたいくらい、笑顔がチャーミングで素敵な子で周囲からもすぐに信頼を得ていた。私も負けるものかと見習わなければと思っていたけれど、なかなか簡単に真似ることは難しいものだ。

だけど、そんな彼女のコミュニケーションスキルが、マスクで顔が半分しか見えないコロナ禍のなかだったら、真似る自信が湧いてきた。たとえ対面でも表情がわからないからドン引きされても大丈夫だし、オンラインだったら何度でもキャラ変できるかもしれない。そう考えると、また人見知りと奮闘する気力が湧いてきて、知らない自分と出逢うことができる。