私の声が患者の未来に繋がった話。
皆さんは身体拘束、身体抑制という言葉をご存知だろうか。
医療、介護の現場で働いているとよく耳にするが普通に生活していると、ニュースでも取り上げられていないためかあまり聞かないように思う。

この言葉を噛みくだくと道具や薬剤を使い患者の身体を一時的に拘束し動きを抑える行為のことだ。

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抑制には様々な種類がある。動くと音がり知らせるものや柵でベッドを囲んだり、腰や手足をベッドと繋げた帯の様なもの(抑制帯という)で縛ったり、手の動きを制限する為にボクサーが付けるような手袋(ミトンという)をつけたりすることもある

これには勿論きちんとした理由があり、入院中に身体から出ているあらゆるチューブやモニター、点滴、治療を妨げる事が無いように行うのだ。

縛り付けるなんて可哀想。初めはそう思った。
しかし、拘束をせずに治療に必要なチューブを抜かれてしまい血だらけの患者を発見する度にこれは必要な行為なのだと感じた。頭では理解できたが心のモヤモヤは晴れなかった。

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本当に拘束しか手は無いのかアセスメントを十分にし、カンファレンスを開き、家族に説明を行い同意も得ている。しかし、本人はどうだろう。
看護師1年目のカンファレンス中に、そう思ったのがきっかけだった。

患者は、認知症だとする。ふと、目が覚めると身体から身に覚えのないチューブがたくさん出ている。ここが何処かなぜこうなのか、何も分からず不安の中、逃れたくてそれを抜いてしまった。するとどうだろう、複数人の看護師が何か説明しながら手足を縛り始める。よく分からないまま身体の動きを制限され抵抗すれば薬が増えることもあり、眠くなる。

仕事で患者にやっているが、いざ自分に置き換えて考えただけでゾッとしてしまった。
私には、覚悟が足りなかった。気持ちを入れ直す。
これは漫然とやっていいものではない。あくまで治療上必要な〝一時的〟な行為なのだから。

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しかし、現実問題、高齢化が進み認知症やせん妄などで治療を理解出来ず安静を守れない場合がほとんどである。

私たち看護師も日々、暴れる患者からの暴言や暴力に耐えて治療を提供している。
患者に噛まれ抓られ暴言を吐かれ唾を掛けられた時に涙がでたこともあった。入れ直した気持ちもその日のうちにポキっと折られたのだ。

患者その人のための治療、だからこそ最善を尽くさせて欲しい。治療の為には抑制が必要。しかし、これはその人にとっては苦痛であり尊厳を奪う行為となる。新人看護師であった私には、結論が出せず、このジレンマに悩み先輩看護師たちに相談した。

その時に聞いた言葉だ。

「認知症患者は、その人であってその人ではない。脳の萎縮による病気が見せた姿なの」

スっと胸に入ってきた。そして、ある考えが浮かび発言に至った。

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当時、私が務めていた病院では、身体拘束のカンファレンスが週に何度かあり皆で意見を出し合う時間が設けられていた。

私の悩んでいた患者も議題に上がりカンファレンスとなった。
その方は認知症が進行し言葉は話すことができず、相手の話も理解できない状態だった。
しかし、快・不快は表現でき穏やかな表情をみせることもあったが治療の指示が守れず日々拘束されそれでも拘束を抜けて血だらけになっていたため皆が身体拘束を外す事を諦めていたのだ。

「〇〇さんについてですが、提案があります。看護師が傍にいる時間だけでも拘束を外しませんか?」

皆の表情は渋かった。

毎日走り回り汗をかき、1分単位で動くことも割とある看護師という仕事。
そんな中、患者の傍に誰が何分居られるというの?という雰囲気だった。

しかし、諦めずにその方の生活パターンを伝え〝お試し期間〟をもらえた。
午後3時の水分摂取の僅かな時間だけ身体拘束を外す。24時間拘束されていた中では大きな進歩だった。それからは担当になった日にはなるべく訪室し拘束を外し傍で話しながら見守る事を繰り返した。

すると、穏やかな表情が増えチューブを抜く頻度も減っていき拘束が一つ一つ解除されていった。
足、腕、センサー、柵、腰そして最後にはミトンが24時間装着から適宜にまで解除が進んだ。

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こんなに上手くことが進むものばかりでは無いのが実際の医療現場ではあるが、この経験が自信に繋がり今ではリーダーシップを発揮する場面もある。

新人で他より知識も経験も未熟だった私の声が患者の未来を良い方向に変えた。
私の声には意味があったと思えた貴重な体験だ。