私は大学時代に起業し、いわゆる「女性起業家」という生き方を選んでいる。

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まだまだ駆け出しで、売上も少なく、事業としてはまだこれからという段階だが、若く、学生時代から起業して、そして「女性」であるということで様々なメディアや媒体で取り上げてもらえる機会をいただいている。

沢山の下駄を履かされて(頼んでもいない下駄を履かされて、苦しいことも多いが、その下駄を脱ぎ捨てた時の自分の実力を直視するのが怖く、甘んじて受け入れている。というか受け入れざるを得ない)普通の生き方では経験できないことばかり、起こる日々である。

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そんな中でも、いつも脳内に蘇る記憶が2つある。
1つ目は、以前、とあるピッチコンテスト(事業についてのプレゼンテーションのコンテストのようなもの)で賞をいただいた時のことだ。

賞を下さった審査員の方のコメントの中に「彼女は女性なのに、頑張っていてすごい」という言葉があった。それって差別ではないのだろうか?事業の評価をされるべきこの場所で、女性であることを評価されるのは、差別なのではないだろうか。

私はその場にいる、全ての男性起業家(あえて、そう呼びたい)に申し訳なく、顔を上げることができないまま、その日は会場を後にした。

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2つ目は事業で関わっている方に日頃の報告に行った時のこと。「いつも頑張っているけど、女の子なんだし、無理しないで家庭の事とかも考えてね」と、すごく尊敬していたその方に言われた。

うーん?どういうことなんだろう?女性起業家にはタイムリミットがあり、パワーリミットがあるのか?男性起業家でも、そう言われるのだろうか?
きっと私はぽかんとした顔をしていただろう、その日話したことは覚えていないが、その瞬間の景色は今も鮮明に思い出せるほど、記憶に焼き付いている。

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2024年現在、日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中118位、G7(主要7カ国)では最下位。沢山の先輩方が声をあげ続け、少しずつ状況は改善されているとは思うが、こんなに社会が進歩した現在でも、まだまだ女性の生きづらさは残り続ける。

特にビジネスの場では男性優位社会が未だに続き、苦しい思いをしながら社会の荒波に揉まれる女性の仲間たちが沢山存在している。「女性なのに」「女性だから」そんな発言だけではなく、セクシャルハラスメントなどの被害を受けてしまったり、実際に差別を受け、正当な評価を受けられないなどの実害も多く、女性が安心してビジネスの世界で呼吸をできるような状態ではない。

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この国で女性として、特に男性優位なコミュニティで生きていくのは難しい。
それでも、後の世代の女性たちが、前向きに挑戦していけるよう、私はこのステージに立ち続けたい。

下駄ではなく、ヒールを履きたい。自分の足で立ちたい。
下駄を履かずとも、堂々と立ち上がれるように、今は一起業家として粘り続ける。
いつか「女性起業家」と呼ばれなくなる日まで、「女性起業家」という言葉自体がなくなるまで。