今日は、本当に今さっき、たった数時間前に出会った「あの子」について、絶対に忘れたくないと思ったので、勢いのまま文にしようと思う。

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今日の私はとっても元気がなくて。
というのも、今日は2週間に1度の精神科通院日。
鬱病の療養のために通院しているのだが、鬱病のせいなのか、根本的な性格のせいなのか、私は通院があまり好きではない。

何かあった時に困るため、些細なことでも診断で伝えるよう言われているのだが、この自分の内側を曝け出すという行為がかなり苦痛なのだ。
こんなこと言って大丈夫かな、これって変なのかな、お医者さんなんて思ってるんだろう。
そんな不安ばかりが先行して、いつも息が詰まってしまう。
しかも先週は、希死念慮とか不眠とか色んな症状が強く出てしまって心身の体調がすぐれなかったので、今日の診断ではネガティブな話をしなければならない。

そう考えると、精神科に向かう足取りも自然と重くなってしまう。
真夏の日差しが「お前は一体何をしてるんだ」とでも言うように鋭く痛く突き刺さるような気分がして、トボトボと歩いていた。

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そんな様子で精神科に向かう途中。
横断歩道を渡った先に、自転車にまたがって止まっている外国人の青年を見つけた。
信号が青になってもその場に止まっているのでどうしたんだろうと少し疑問に思いつつも、そのまま通りすがろうとした時。

「アノ、コレ、イイ?」

青年が突然、片言な日本語で私に声をかけてきたのだ。
一瞬戸惑って固まってしまう私。
しかし、目の前の信号、動けずに止まっている青年、片言で何か質問しているという状況から、「横断歩道を渡っていいタイミングがわからない」のだと気づいた。

とは言え、私は英語が喋れない。
こちらも片言な英語とジェスチャーでなんとか「オッケー、グリーンオッケー!」と伝える。
すると青年が、またも片言で尋ねてきた。

「アナタ、ガクセイ?」

精神科に向かう途中でただでさえ緊張していた矢先のハプニングでうまく声が出せなかった私は、無言のまま首を横に振った。
その様子を見ながら青年は言葉を続ける。

「ワタシ、アタラシイガクセイ。ワカラナイコトイッパイダケド、ニホンノヒト、ミンナヤサシイ、シンセツ」

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青年は、これまでも、日本で困った時に色んな人に助けてもらってきたのだろう。
決して私1人に向けられた言葉というわけではなく、今まで助けてくれた日本人みんなに対しての感謝の気持ちだったのだと思う。
それでも、片言な日本語で一生懸命「ヤサシイ、シンセツ」と伝えてくれた青年の真っ直ぐさは、ちょうど気持ちが沈んでいた私にとても刺さった。
上手に喋れなかったし、青年の言うことを理解しきれなくて曖昧な返事になってしまったかもしれない。

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そのあと特に何か進展があったわけでもなく、青年とはその場で別れた。
名前も出身地も年齢も知らない、一瞬出会っただけの関係だけど、間違いなくあの子は私の気持ちを救ってくれた。
これからも辛いことはたくさんあると思うけど、私もあの子のように真っ直ぐな優しさをもって生きていきたい。
名も知らぬ青年、今日は私に声をかけてくれて、本当にありがとう。