「自衛してください」

この言葉が指す意味は一体何なのだろう。もしかすると男性よりも女性の方が「自衛」という言葉を言われた経験があるのではないだろうか。

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自衛=自分を守る、という意味で使うならば、決して悪くはない言葉だ。けれど、あまりにも「自衛、自衛」と言われすぎると、一方的な押し付けだと感じてしまう。
私がいた職場はまさに「自衛」の巣窟だった。女性だけに「自衛」を押し付けていた。

私は保育の職場に勤めている。アルバイトではあるものの、保育という専門職を経験したいと思い、働き始めた。
保育の場では様々な子どもがいる。はしゃぐことが好きな子やおとなしい子。また、障がいがある子も一緒に生活をする。

給料も安く、やりがい搾取に近い環境だが、それでも私は専門職の一員として仕事に励んでいた。しかし、働いている限り悩み事はつきものである。私の職場の場合は、ある子どもからの性的接触であった。

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Aくんには、とある障がいがある。勉強のペースもゆっくりで、多動気味だ。しかし、最近少し様子がおかしかった。

女性の職員の胸に触り、「嫌だからやめてね」と言ってもやめてくれない。胸だけでなく、お尻を触られた職員もいた。
男性職員や50代くらいのパートさんのところには行かず、若いアルバイトの女性職員のところにだけ性的接触をするのだ。

私もAくんから身体を触られ、「嫌だからやめてね」と目を見ていうものの、行動がなくなることはなかった。私の他にもAくんに触られた職員がいたため、常勤職員に相談したがいつも同じ言葉を繰り返し言われるだけであった。

それが「自衛してください」だった。

「Aくんもわざとじゃないんだから……」
「Aくんにそういうことさせないように自分で自衛しないと…
「Aくんがそういうことをしている場面を他の子に見られたら、他の子からAくんが嫌な目で見られてしまうかもしれないからさ…

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常勤職員は男性なのだが、「自衛」とか「わざとではないのだから」としか言わなかった。常勤職員とともにAくんと話し合ったこともあったが、その後も行為が何回も続いたため、私は途方にくれてしまった。

なぜ女性にしか「自衛しなさい」と言わないのだろう。
男性だから?自分が身体を触られていないから?
「自衛」することばかり考えて、保育時間に支障が出たらどうするの?

そもそも、男の子の性的接触の意味なんて私には分からない。同じ男性である常勤職員から、もう少し説明があってもいいのではないか?

もやもやと疑問ばかりが保育中にもかかわらず浮かんでしまい、ストレスに感じてしまうことが多々あった。

注意してもやめてくれない。特定の人にだけそういう行為をする。しかも人が隠れているところで触ってくる。ということは、「見られてはいけない行為」だとAくんも自覚しているはず。もう少しゆっくりとAくんと話し合わなければ、大人になってからAくんが困ることになる。
Aくんのために、そして女性職員のために、「自衛」だけの対処は終わりにしたい。

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私はそう思い、常勤職員との個別面談の時間をとってもらった。
そこで話したのは上記で述べたような内容だ。

保育中に「自衛」を考えてしまい、業務に支障があること。そもそも「自衛」するだけでは事態が収束しないこと。「自衛」を強いることで、女性職員が働きづらくなること。男の子の生理的な現象は女性には理解しづらいため、勉強する機会を設けてほしいこと。

Aくんのためにも「女性の身体には触らない」「男女問わずプライベートゾーンがある」ことを理解してもらうように頼んだ。そしてなにより、女性職員だけに強いられていた「自衛」の押し付けをやめてほしいことを話した。

常勤職員は少し困ったような顔で話を聞いていた。現場がとても忙しいことは私も理解している。しかし、現場で働く人が働きづらい職場では、子どもたちも安心できない。なによりAくんが他の子と楽しく過ごすことができるために、為すべきことを「今」行う必要がある。

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人々の我慢で成り立つ職場など、いつか壊れてしまう。その前に「今」どうにかしなければならないと思った。

常勤職員に相談したあと、すぐにスタッフ会議が行われた。Aくんに身体を触られている女性職員からの相談やAくんへの対応についての話がなされた。
そこでは、女性職員に「自衛」ばかりを強制しないことや職員みんなでAくんを見守ることなどが決定した。
Aくんとの距離を保つ。また、他の職員もAくんを気にかけながら、女性職員が困っていたら手を貸すなどの案が提示された。

この案が根本的な解決策になるかはわからない。
でも女性の我慢で成り立つ「自衛」よりも、職場の人たち全員で対応することで、Aくんや他の子どもたち、そして職員が安心して過ごせる場になると私は信じている。