私の母は理想の女性像だった。しかし、今の私は母とは違う女性になりたいと思っている。

私の母は結婚してから専業主婦として家庭を支え、私の反抗期のときにも全力でぶつかってくれた。私の母は自分よりも家族を優先する、海のように心が広い人だ。しかし、最近は「もし母が専業主婦ではなく仕事を続けていたら」という考えが頭をよぎる。そのきっかけは大学でのジェンダー学の授業だった。授業では過去の日本の性別役割分担や、「3歳までは母親が家庭で子育てをした方が良い」という3歳児神話を学んだ。このように「母親は家庭に専念すべき」という社会的に作られた風潮によって女性の選ぶ道が閉ざされたことを学び、憤りを感じた。

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私の母も妊娠した際に会社を辞めざるを得ず、父の転勤とともに見知らぬ土地を転々としてきたと聞いた。私が尊敬し、将来母のようになりたいと思っていた姿は社会的な風潮によって作られたものであると私は思う。現在の社会ではそのような風潮を変えていこうという動きがされている。女性の地位向上に向けて社会が動くことへの肯定的な気持ちと、母の姿が現代では否定されているような複雑な心情だ。

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よくエッセイでも家族を優先するうちに、趣味や好きだったものがなくなり、「母になってから自分がなくなった」という話を見る。私自身、母をないがしろにするような行動を無意識にとってしまい、母への罪悪感が募る。私は将来家族に尽くして自分をなくし、それでも幸せだと思える自信がない。そう思うことも母の人生を否定しているようで胸が痛くなる。

また、私は現在就職活動中だが、社会は働く女性の確立に向けて動いていると感じる。

企業説明会では業務内容だけではなく、社内の男女比や男性の育休取得率を学生に丁寧に説明し、男女格差の少なさをアピールする企業は多いと感じた。社員インタビューでもほとんどの企業が育児と両立して働く女性の経験談を記載している。その一方で、私には現在の社会で経済的に自立する自分が描けない。採用情報サイトには企業の女性の管理職割合が掲載されているが、女性の管理職割合が数パーセントの企業が多く、衝撃を受けた。

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また、対面での会社説明会でも受付は若く華やかな女性、案内された先で事業の説明を行う代表者は男性のみという光景を見て、企業が掲げる男女平等と実態の乖離には違和感があった。家庭と仕事を両立する女性像が推進されるなかで、社内決定権を持つのはほとんどが男性という矛盾があり、私たちの時代から女性の地位はどの程度向上されるのか不安がある。

母は家事・育児、父は仕事という性別役割分担という風潮が薄くなり、専業主婦・主夫になることも、仕事に専念することも、結婚をしないという選択もそれぞれが尊重され、男女ともに選択肢が広まることを願う。将来の私は社会の風潮に流されることなく、「なりたい自分」に向けて行動できる人になりたいと思う。

私の母は世界で1番尊敬する人だ。
しかし、母とは違う道を選びたいと思う。