小学生のとき、私は一日中、学校へ通うことができなかった。習い事をしていて、早朝から練習に行き、学校、そしてまた午後から夜まで練習の日々を送っていた。同じ習い事をしている人たちにとっては当たり前の生活で、そこまでしなければ、習得できない事情があることを子どもながらに理解し、上を目指して練習に励み、競い合っていたからだ。
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こんな状況だからか、学校では自分のやりたいことがなかなか実現できなかった。ある年の学習発表会では、やりたい役をみんなと同じように伝えたところ、「休んだときに困るから他の役にして」と担任に言われた。そして、ほとんど寝ているだけの役をやった。
練習に参加しなくても当日困らないことが理由だった。私は、幼いときからいろんな習い事をしていたため、振り付けや台詞を覚えることは比較的得意である。練習量が少なくても、人に迷惑をかけないレベルでやれる自信はあった。しかし、叶えられなかったことで、学校での活動は色褪せた。
楽しみにしていた修学旅行は、太秦映画村へ行った。お化け屋敷に入りたいが、自分たちだけでは入れない。先生と入りたいとグループのメンバーが言い始めた。しかし、先生は別のグループと入ったばかりである。ずいぶん時間が経ち、私は意を決しみんなに言った。
「自分たちだけで入るか、時間がなくなるから他のアトラクションに行こう?」。ところが、「私がリーダーだから私が決める」と言われてしまった。とても後味の悪い経験をして、自分の意見を言うことが怖くなった。
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中学校は受験をして、みんなとは別の学校へ行った。新しい自分としてスタートするにはちょうどよかった。友達といろんな経験を積み、笑い合い、時には一緒に悩んで答えのないトンネルの中を彷徨うこともあった。それでも、お互いを尊重しあった会話は、とても居心地の良いものだった。
私は、三年生最後の文化祭で、歌のコンテストに出てみたいと思った。小さい頃から習い事を行い、自分を表現することが好きだったからだ。歌が得意な友達に、「ねぇ、出てみない?」と誘ってみた。「え、いいよ。何歌う?」とすぐに意気投合して、私たちは出場を決めた。お互いに忙しい生活をしている。
だから、私が歌えそうな曲を選び、それぞれで時間を見つけて練習を積むことになった。私はカラオケハウスで練習をしたり、ボイストレーニングをお願いして、発声の練習に取り組んだりした。どこまでやれるか分からないが、友達と息を合わせ、うまく「ハモりたい」一心だった。
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当日、初めて私たちは一緒に歌った。それぞれが練習した成果を相手の歌声を聴きながら、重ねていく。テンポがずれそうになったとき、友達にカバーしてもらい持ち直した。入るタイミングを間違え一音発してしまったときも、慌てず友達を信じて歌い続けた。すべての出演者が歌い終わり、みんなの完成度の高さに圧倒された。しかし、私たちもやれるだけのことをやった。後悔はない。祈る気持ちで結果発表を待った。
そして、なんと、最優秀賞で私たちの名前が呼ばれた。あまりの驚きと喜びで、頬が高揚していくのが分かった。心臓も高鳴り、まるで音が外から聞こえているかのようだった。友達と目が合い、私たちは最高の笑顔で見つめ合った。そこには言葉はなかったが、互いの努力を認め合い、讃え合っている。温かい空気と、固い友情を感じた。
小学生のときは、まだ私が幼くて、うまく思いを伝えられず自分の発言が認められなかったのかもしれない。それでも苦い思い出である。しかし、勇気を出して友達を誘い、努力を重ねたことで、一人では味わえない仲間との最高の思い出が作れた。
「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」、まさに、その通りだと思えた。かけがえのない友を私はまた一人得た。仲間や自分の思いを大切にしながら言葉を発し、これからも友情を育んでいきたい。今回の体験は、間違いなく私の財産である。