情熱を保つこと、それが1番の才能であると思う。
「やりたいことリスト」を仕事中に書き溜めるだけ書き溜めて、実行することなく休日を終える身からすると、大学の同期だったあの子が本職をこなしながらコンテストで入賞したり、デビューしているのを見て、心底尊敬する。
尊敬すると同時に、心の底に溜まった澱が舞い上がる。

羨ましいの言い訳で現れる嫉妬心。生活と仕事以外に時間が取れない

羨ましい。
私だって時間があれば。

「言い訳」で現れる嫉妬心。
嫉妬できる感情があるだけ、まだ捨てたものではないのかもしれないと、自分を慰めながらエッセイを書いている。これぞエッセイの醍醐味……。
会社員をしながら「好きなことで作家の副業をしている人」をネットで見かけると、つい私生活を覗きたくなってしまう。SNSに投稿される私生活には信ぴょう性など毛ほどもないのに。それでも、見たくなってしまう。

どういうタイムスケジュールで生活し、メンタルの安定を保っているのか。仕事と家事をこなしながら、「作品を作る」労働をまた背負こむのは、生半可でない。
特に、賞を取りたいなら尚更だ。応募規定の作品を作らねばならないし、なにより、これが1番の難関なのだが、締切がある。

締切。
プレッシャーを与えてくる言葉だ。
私にはない、余裕のある生活をしているから、生活と仕事のほかに時間を取れるのだと思いたい。なんて意地汚い。

24時間でこなさなきゃいけない作業が多すぎて、疲れてしまう

現代人として生きるために仕事をし、生命を維持するために家事をし、身体を労るために休息する。たったの24時間で3つをこなさなければならない。
睡眠6時間+仕事8時間+朝支度1時間+昼休憩1時間+風呂と歯磨き40分+夕支度と夕飯2時間=18時間40分。
ここに、通勤時間往復40分と食材の買い出し30分もプラスする。これで20時間ほど。残りの4時間をすべて創作活動にあてれば、完璧なタイムスケジュールになる。

疲れるなぁ!
トイレの時間も入れてよ。ひとり個室でホッとできる貴重な時間だよ。朝は家を出るまでコーヒーを飲みながら、ボーっとニュースを観る時間が欲しい、たったの20分だよ。
夕飯作る前にひと息つく時間があってもいいでしょ、働いて買い出しもして帰ってきて、すぐシャワーで汚れを落として、洗濯物とりこんで、まだ家に着いてから座ってもいないよ。座らせてよ。

夫から「帰るよ」のLINEが入ったらすぐ夕飯作るから。ああ、アニメ観たい。配信された新作の映画も。
夫が帰ったら夫タイムの始まり。構われるのが好きな人なので、風呂とトイレ以外は片時も私の側を離れない。寝室も一緒なので、私がひとりで過ごす時間はなくなる。

そもそも私の部屋がない。元は夫がひとり暮らししていた独身者向けのワンルームだから、ふたりでいるとプライベートを確保できない。孤独に没頭できる時間と空間がないと、創作できないんだよね、私は。側に誰かがいたんじゃ、落ち着かなくて作業できない。「なにやってるの〜?」って覗き込んでこないでよ。

信念と情熱を持った作品は「子供」だから、責任を持って育てあげたい

言い訳言い訳言い訳。
やれない言い訳。
時間を取れるからできる、ではない。
作業する部屋があるからできる、ではない。
捻出するのだ、ムリヤリに。
強い信念を持って時間を確保し、作業できるタイミングを自ら作り出す。

作家のあとがきにも書いてあることがあるだろう。
「フルタイムの仕事を終え、子どものご飯と勉強を見てやったら、すぐに寝る。毎朝3時に起きて、朝支度の時間まで執筆にあてていた。どうしても、この物語を書き上げなければという信念が、そうさせた」

信念と情熱を併せ持った彼らにとって、作品を作るのは「趣味」とか「好きなこと」とかそんな生半可なことではないのだろう。安直に例えるなら子どもを産み育てることに近い。
自分が腹を痛めて産んだ子ども。自分が産まなければこの世に存在しなかったもの。だからどうしても作らなきゃならない。この作品を作れるのは私だけだから。産んだ責任は育て上げることだ。苦悩して、身を削って、手をかけてやらねばならない。

なぜそこまでできるのか?
愛だ。
愛ゆえの情熱と執着心、そして使命感。
私には愛が、足りない。