結婚式の二次会に参加した。新郎は、久しぶりに会う大学の先輩。奥様との出会いを聞くと、「多摩川で偶然(笑)」と笑う。

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「多摩川で偶然(笑)」?はてなを浮かべる私に、友人がサラダを取り分けながら耳打ちしてくる。マッチングアプリでの出会いを、そう濁しているらしい。

おそらく、親族の方々など、アプリに慣れていない方への配慮だったのだろう。私たちには分かりやすく嘘であることを匂わせていた。私たちにとってマッチングアプリは出会いの選択肢として生活に馴染み、恋バナに必須の存在だ。隠そうとする方が違和感があるくらい、効率的な出会い方として浸透している。

それでも、ほんの少し、引っかかることがある。

ひょんなことから、Xのタイムラインに婚活女性の投稿が頻繁に流れるようになった。「今日は〇〇さんとデート」とか、「××さんは背が高いけれど、服のセンスが気になる」とか、婚活の進捗をリアルタイムで垂れ流している投稿だ。

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彼女たちは、独特の用語を駆使して理想のパートナーを探していた。婚活、恋活、マチアプ、相談所、ハイスペ、スパダリ、仮交際、真剣交際……。

恋バナは好きだ。世界のどこかで暮らす女性が幸せになってほしいと遠くから見守っていた。しかし、いつしか数多く流れてくる投稿が煙たくなってきて、上述の用語を全てミュートした。恋愛観の合わない友人の恋バナを、延々と聞かされている気分だった。

彼女たちの投稿の、何に違和感があったのだろう。ハイスペ、スパダリあたりの言葉には、そりゃもう嫌悪感があった。脳内の辞書から消したくらい。

しかし、私も大人になった。恋心だけで家庭の共同経営者を選ぶことはできないと理解している。条件を先に提示して、それに見合った相手を探す大人の恋愛を理解はしている。

では、何に戸惑っていたのだろう。頭を捻って、捻って、辿り着いた。私は、技術の進歩に伴う「新しい出会い方」に戸惑っていた。

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例えば、普通に生きていたら「自分の人生に関わらせる人」を積極的に選び取る機会はない。素敵な人も相性が悪い人も、学校や職場などのコミュニティで半強制的に出会う。そこから、相性が良ければそれ以上の関係に発展することもあるだろう。

一方、マッチングアプリや相談所の出会いでは、操縦桿を握ることができる。「自分の人生に関わらせる人」を選び、そうでない人を排除できる、世にも珍しい体験だと思う。さらに、恋愛や結婚が前提の出会いのため、登場人物は条件によって選別されていく。

顔が見える、「私とあなたの出会い」と似ているようで異なる出会い方が、なんだかSFチックで、経験したことがない近未来的な的な動きだと感じるのだった。

誰が誰とどうやって出会おうが、親しい人が傷つく事さえなければどうでもいい。しかし、世代やその他の理由で生じる受け入れ難い価値観への対応を、自分も考えなくてはいけないなとまた頭を捻るのだった。