私は文章を書くことに自信がない。しかし、私にとって文章を書くことはとても大事な行為である。
自分の文章に自信がないのは育った環境が影響している。私は末っ子だ。それもただの末っ子ではなく、親戚を合わせて12人いる中で末っ子なのだ。一番離れている従兄弟とは一回りもの差がある。

◎          ◎

子供の頃に親戚や兄姉と遊ぶ時、会話をする時に自分だけ出来ないこと、分からないことが多かった。お正月の集まりで、かなり年齢が離れている従兄弟達は大人と難しい話をしていたし、トランプ等のカードゲームは全然勝てなかった。また、兄姉との喧嘩は一度も勝てたことが無い。
子どもの頃は、年の差があるから出来ないのが当たり前だと思っていた。大人になれば彼らのようになれると思っていた。
しかし大学生になった今も、年の差による知識や経験の差は縮まらなかった。このような経験から私は自己肯定感が低い大人に成長した。

特に文章に関して劣等感を感じる。自分の文章は人に伝わりにくく、語彙力もないと思う。
会話に対しても同様の感覚がある為、口癖は「なんていうの?」である。これは自分の言語化能力に対する自信の無さから生まれた癖である。
このような文章に対する自信の無さには特に姉が影響している。


私の姉は本を読むのが大好きだ。小学生の頃の姉は、本を読むことを遊びにするような子供だった。大人になった今も常に電子書籍を持ち歩いている。
それが関係しているのか、彼女は一般的に見ても語彙力や文章力がある。私が言語化出来ないことも彼女は言語化できる。
私も文章力を向上させる為に家の近くの図書館に通って本を読んでみた時期があった。しかし、本を読むことが苦手な私が読みたくなるのは漫画ばかり。気が付いたら漫画コーナーに通うだけになり、本を読むことが義務的な行為と感じて嫌気がさした。最終的に、本を読むことが好きで自然と文章力が身についた人と違い、自分は文章力を向上させることができないという考えになり、図書館に通うことを辞めた。

◎          ◎

このように私は自分の文章に自信がない。しかし、私は頻繁に文章を書く。なぜなら他人と良好な関係を築くための手段だからである。
私は人前で泣いてしまったり、怒って家を飛び出す等、自分の感情を出しすぎてしまった経験がある。 感情に素直なことは悪いことではない。しかし感情のコントロールができないと、人と上手に関わるのは難しい。
そこで、なぜ感情を出しすぎてしまうのか考えた。結果、私は自分の考えや思いをすぐに言語化して相手に伝えることができない為、怒りや悲しみ等の感情を表に出す事で相手に伝えようとしているのではないかという考えに至った。なので、感情的になりそうな時は一度気持ちを文章に起こして感情のコントロールをするようになった。

例えば恋人と喧嘩をした際、相手に伝える前に思っていることを文字に起こす。とにかく思っていることを書き出し、そこから手紙にする。結果的に手紙を渡すかは別として相手に伝わるように何度も書き直す。これをすることで自分が本当に伝えたいことは何なのか、自分は何に怒っていたのか気持ちの整理ができる。

◎          ◎

他にも、些細な出来事で嫌な気持ちになった時は怒りや悲しみを他人にぶつける前に一度文章にしてみる。そうすると出来事を客観的に見ることができ、冷静になれる。この努力により、以前より感情のコントロールができるようになり人間関係が良好になった。また、精神的に安定した生活が送れるようにもなった。

自分の文章に自信はないが、他人と上手な関係を築いていくために文章を書くことは私にとって大事な行為である。