自分の声が嫌いだった。
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私の声は低い。低くて、音域が狭い。そんでもって下顎が歯を収めるのに足りなくて、下の前歯が少しがたついている上に、過蓋咬合というやつで口の中が狭い。なので声がどことなくこもるし滑舌があいまいな音がいくつかある。自分の中身が露呈するみたいな、オタクくさいもそもそした喋り方が嫌いだった。喰いしばり癖があるのも一因かもしれない。
自分に自信が無いから声がどんどん小さくなった。顔立ちも相まって怒っているように思われるから少しでも声を高く出そうとした。塾講師を始めたら尚更、明るくてはきはきした声を求められた。ちっとも声が通らなくて何度も「もう少し大きく」と言われ、何コマか授業をすると喉がつぶれそうだった。そのあと接客業を始めたが、声が小さいとお客様に指摘されることが何度かあった。そのたびに自分の声がいっそう嫌いになった。しんどかった。
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ある日、ふいに思った。どうして私は自分の声を偽らないといけないのだろう。愛想が悪いとか、辛気臭いとか、そんなのは他人の勝手な意見だ。そのために、なぜ私が自分を曲げないといけないのだろう。馬鹿馬鹿しくなった。今日からはもう無理に高い声なんて出さない。そう決めた。
果たして、本来の音域に合わせた声で接客を始めると、想像以上に楽だった。声がすっと通って厚みのある声が出る。聞き返されることもずっと減った。不愛想に聞こえないように最初は少し気を使ったが、丁寧な接客をして笑顔でいればそこまで大変なことはなかった。遠くに声を掛けるときも、私の声だけはイヤホン越しでも一発で届くようになった。ご年配の方にはむしろ私の低めの声は聞き取りやすいようだった。仕事は円滑になり、仕事終わりに喉が痛いことも無くなった。
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カラオケでは男性ボーカルの曲ばかり歌った。気持ちよく声が出て、声量も今までとは段違い。何時間歌っても声が枯れることもない。よく歌うようになり、声の響きが良くなるように口の中の空間を広く取るように気を付けるようになった。声のこもりも噛みしめ癖も少しだけ改善した。
朗読教室に行ってみた。本当に楽しかった。自分の声がこんなにもきれいに響くのだと知った。たくさんの人が良い声だと褒めてくれた。私が嫌いだった声を、隠してきた声を。ナレーションの声みたいな、落ち着いて深みのあるかっこいい声だと褒めてくれた。
たかが声の高さひとつ、話し方ひとつ、それだけのことと思っていた。自分を偽っているなんて、考えたこともなかった。当たり前のように求められる「女性らしい」「明るい」声を出さなければならないと思って生きてきた。だって、そうしないと不愛想に思われる。そうしないと職場で求められる人物像に合わない。だけど本当は、本当の自分を愛したかった。声を作って自分を隠してそれでもなお否定され続けるのは、自分が思っていた以上にストレスだったらしい。
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されど声の高さひとつ、話し方ひとつ、自分らしくいるだけで生きていくのが楽になる。肩の力が抜ける。自分らしい本当の声で話しても、誰も私を否定することは無かった。むしろ堂々と声が出せるようになって自分に自信をもって振舞えるようになったからか、高い声を作っていた時よりも好感を抱いてもらえるようにさえなった気がする。
自分が世間から求められていると思っているものの、どれだけが思い込みなのだろう。気付かぬ思い込みや抑圧は、きっとまだ私の中に眠っている。私は、私をまだ知らない。自分らしさの輪郭なんてあいまいで、きっとどんどん変わっていくものなのだろう。だから今、これから、いろんな気付きを重ねながら、明日の自分が今日の自分より軽やかに生きられていたら良いなあって、そう思っている。