もし今10年前の自分に何かアドバイスをするとしたら、「好きなものは堂々と好きって言っていいんだよ」と声をかけるだろう。
30代に突入した今、私が最も困っていることは、自分の好きなものがわからないことだからだ。

◎          ◎

いつから自分の好きなものを見失ってしまったのか、考えてみると始まりは小学1年生の時だ。当時私はピンクのランドセルが欲しかった。しかし、「6年間背負うからピンクは絶対飽きるし、6年生でピンクは恥ずかしいよ」と母に言われ勝手に赤いランドセルが用意された。結局小学校を卒業する時も私はピンクのランドセルが良かったなぁと少し母を恨んだ。しかし、小学校高学年に入ったあたりからクラスでは「ピンクが好きな女の子はぶりっ子でキモい」というのが通説だった。そのため表向きはピンクが好きであることは隠して過ごしていたし、ある意味母は正しかったのかもしれない。
その頃から私は自分の好きな色が分からなくなった。

中学生にってからは英語を学ぶことが大好きだった。
中学2年生の夏休みシンガポールへ2週間ほど短期留学する市の企画があり、その募集があった。
応募時に事前課題や面接試験があったので、必ず参加できるわけではなかったが「そんなお金の無駄遣い、ダメに決まってるでしょ」と母に反対され、応募することすらできなかった。それをきっかけに私は試験の為の英語と割り切るようになり、英語を学ぶ楽しさを忘れてしまった。

高校受験の時期には時間の無駄だからと幼い頃から大好きだった読書を禁止された。
その頃から自分の趣味が分からなくなってしまった。

◎          ◎

高校生の時には、大学で何を学ぶかたくさん悩んだ。
当たり前のように大学進学する方向で話が進んでいたが、英語を学ぶことが好きであることを忘れた私は特に学びたいことが思いつかなかった。
そんなときに母から「カウンセラーとかとても向いてると思う」と言われ、まぁ心理学を学ぶのも面白いかも、という理由で心理学系の学部を志した。

受験の結果が全て出そろったところで、私が1番行きたかったのは滑り止めで受けた大学だった。理由はシンプル、カリキュラムにハワイ留学が含まれていたからだ。
「あまりにも偏差値の低すぎる大学だからダメ」と母から言われてしまいその大学への進学は叶わなかったが、今思えば心のどこかで英語を学びたい気持ちがずっとあったのだろう。でも当時はなぜか外国語系の学部を目指すことを思いつかなかったのだ。

小さなエピソードは他にもたくさんあるけれど、こんな風に自分の好きを抑え込んで生きてきた私は大人になってから、趣味はゼロ、自分が何を好きかも分からずストレスの発散方法が何もなくて困ってしまった。

◎          ◎

幸いどんなことが好きでもいいんだよ、と言ってくれる夫のおかげで30代に入った今、少しずつ好きを取り戻している。
昔はスカートばかりの服装も、今ではパンツスタイル中心。つい最近、読書が大好きだったことを思い出して、貪るように本にかじりついている。昔流行っていたけれど、見ることができなかったアメリカのドラマにもハマったし、幼い頃大好きだったビートルズの曲を家で熱唱している。

今はインターネットも発展して、いろいろな好きで世界中の人とつながることができる。多様性を尊重するような風潮もどんどん進んできて、自由に好きを発信できる世界になってきたな、と私は実感している。私が大人になってからも厳しかった母も、今の世の中の風潮を少しは感じとっているのか、以前よりは私の好きを認めてくれている気がする。

10年後の女の子たちが、自分の好きを大切にできていますようにそう願わずにはいられない。